heritage 薬師堂(やくしどう) [春日神社] 仏教礼拝所 ☆☆☆ 春日神社 地録天神 三郎天神 九郎天神

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〒816-0814 福岡県春日市春日1丁目106   標高:33.8m 地図 GMAP
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歴史

①案内板[1]に「境内北側の博多承天寺の末寺、大光寺跡には世話人によって十三仏が安置されています。」 とある。同案内板に地図も掲示されており、その位置は社殿の裏手の森の中のようだ。

②『筑前國続風土記附録』巻之7 那珂郡 上 春日村の項に「○薬師堂(カスガヤマ 春日山大光寺といふ阯のよし言。境内に石仏有。文字なし)」とある。

上の①②は同じ大光寺の事と思われる。①での「社殿の裏手の森」は昔は「カスガヤマ」(②)と呼ばれていたのだろう。

当薬師堂の位置は春日神社の境内の東南側の隅にある。 場所は上記①②とは異なる。 御堂内には薬師如来聖一国師(しょういちこくし)が祀られている。聖一国師は承天寺を創建した僧である。

これらのことから、当薬師堂は昔、春日神社の裏手の森にあった春日山大光寺との強い関連性が伺える。

大光寺の縁起については知る由も無いが、承天寺が仁治3年(1242)に聖一国師によって創建されたことから、 仁治3年以降の開山と思われる。春日神社の歴史が神護景雲2年(768)までさかのぼるというから、大光寺の起源はさらに承天寺の創建以前までさかのぼり、はじめは春日神社の別当(神宮寺)であったのかもしれない。

ひとくちメモ

御堂内には向って左手より、弘法大師・薬師如来・聖一国師が祀られている。 御堂の両脇には十三仏がずらっと並んでいる。

写真

  • 弘法大師(向って左手) - 祭壇内
    弘法大師(向って左手) - 祭壇内 
  • 薬師如来(中央) - 祭壇内
    薬師如来(中央) - 祭壇内 
  • 聖一国師(向って右手) - 祭壇内
    聖一国師(向って右手) - 祭壇内 
  • 十三仏 - 薬師堂内
    十三仏 - 薬師堂内 
  • 十三仏 - 薬師堂内
    十三仏 - 薬師堂内 
  • 十三仏安置記念石塔(「大正12年10月5日」銘)
    十三仏安置記念石塔(「大正12年10月5日」銘) 
  • 遠景(画像中央が薬師堂) - 春日神社社殿を背にして撮影
    遠景(画像中央が薬師堂) - 春日神社社殿を背にして撮影 

春日神社

社殿
社殿 
社殿の扁額
社殿の扁額 
手水社
手水社 
3本の大楠
3本の大楠 
神門
神門 
神門に提げられた多数の風鈴
神門に提げられた多数の風鈴 
「乃木大将遺品収蔵の地」碑 - 社殿に向って右手
「乃木大将遺品収蔵の地」碑 - 社殿に向って右手 

当社境内の案内板より引用する。

【祭神】天児屋根命(あまのこやねのみこと)武甕槌命(たけみかづちのみこと)経津主命(ふつぬしのみこと)姫大神(ひめおおかみ)

【由緒】天智天皇皇太子としてこの国にあわします時、この地に天児屋根命を祀り給える神籬(ひもろぎ)[2]の跡と言い伝う。

神護景雲2年(768)藤原田麻呂(ふじわらのたまろ)太宰大弐として太宰府に在りし時、大和国春日より武甕槌命・経津主命・姫大神の3柱をこの神籬に迎え併せ祀り、社殿を創建して春日大明神と称え奉る。

天正14年(1586)、島津勢の兵火にかかり、社殿・末社。宝蔵・古文書等一切が焼失した。

寛永4年(1627)、知行領主黒田美作一成[3]により社殿が再建された。その後元禄9年(1696)に改築されて現在に至る。

鳥居は宝永7年(1710)黒田美作一利により奉納されたものである。(以下略)

【祭礼】4月第3日曜日 春籠の祭・7月第3日曜日 夏籠の祭・10月第3日曜日 秋季大祭(宮座)

【婿押し祭り】1月14日夜 重要無形民俗文化財(国指定)

門前・境内には作者が確認しただけでも、5本の大楠が見られる。 大光寺跡があるという、社殿の裏手の森への入口がわからない。困ったものだ。 春日神社の社務所で尋ねる事を失念した。残念。

表参道が300mほど残っている。

参考:『筑前國続風土記附録』


春日神社の表参道

①御潮井橋(赤丸の所に九郎天神(黒男大明神)) - 春日神社に向って撮影
①御潮井橋(赤丸の所に九郎天神(黒男大明神)) - 春日神社に向って撮影 
①牛頸川(2本の飛石橋が見える) - 御潮井橋より上流に向って撮影
①牛頸川(2本の飛石橋が見える) - 御潮井橋より上流に向って撮影 
②参道途中- 春日神社に向って撮影
②参道途中- 春日神社に向って撮影 
③門前の石橋(右手が春日神社)
③門前の石橋(右手が春日神社) 
③門前池脇の大楠
③門前池脇の大楠 
④鳥居
④鳥居 

門前には池がある。池の脇には根本が露出した大楠がみられる。 池には石橋が架けられている。門前の池・楠・石橋の眺めはなかなかのものである。手入れが行き届いている。

門前の池の石橋を渡った所より東南方向に一直線の参道が残っている。

3参道は牛頸川(うしくびがわ)と交差する。一の鳥居から300mほどか? そこには朱色の欄干の御潮井橋が架けられている。 手前には九郎天神が鎮座。脇には大楠が立っている。

参道は御潮井橋を渡って100m程の所で途切れているようだ。その先は航空自衛隊春日基地となっている。

掲示している画像に、春日神社から遠いほうから①〜④と付番している。


薬師堂・春日神社の周辺の神仏

周辺の神仏の地図 - 案内板(「春日神社と周辺の歴史」(春日市教育委員会、2014年3月)より)
周辺の神仏の地図 - 案内板(「春日神社と周辺の歴史」(春日市教育委員会、2014年3月)より) 
御潮井橋(赤丸の所に九郎天神(黒男大明神)) - 牛頸川下流より撮影
御潮井橋(赤丸の所に九郎天神(黒男大明神)) - 牛頸川下流より撮影 
九郎天神(黒男大明神)
九郎天神(黒男大明神) 

案内板[1]によれば、周辺にも多くの神仏が鎮座している。 半径300m圏内に当薬師堂・春日神社を含めて8ヶ所の神仏を拝むことができる。 下記はそれらの神仏の案内板より得た情報の要約である。

大光寺跡
掲示している地図画像では「十三仏」と表示されている。 詳しくは当ページの歴史の項参照のこと。
地録天神
字下屋敷に鎮座。農業神である、埴安命(はにやすのみこと)を祭る。
今でもそれぞれの地域でお(こもり)りが開かれている。場所はこちら
三郎天神
字上屋敷に鎮座。農業神である、埴安命(はにやすのみこと)を祭る。
今でもそれぞれの地域でお(こもり)りが開かれている。
お産の神様として信仰厚く、村人はお産が始まれば、祠の扉を開けて安産を祈願し、お産がおわれば扉を閉じた。 場所はこちら
九郎天神
以前は黒男大明神(くろおだいみょうじん)といい、御潮井橋のほとりに鎮座。 オクロウサマとも呼ばれる。今は、婿押し祭りのお汐井取り場となっている。 脇にある御影石は初積石と呼ばれていた。 画像を掲示します。場所はこちら
上の地蔵
立江の地蔵・フナカド (船門・船可登)の地蔵とも言われる。地蔵堂は金口池公園境内にある。 上の地蔵参照のこと。
下の地蔵
字下屋敷に鎮座。 イボ取り地蔵・紹運地蔵とも呼ばれる。 下の地蔵参照のこと。

『筑前國続風土記附録』巻之7 那珂郡 上 春日村の項

春日神社(赤丸の地点に御潮井橋) - 『筑前國続風土記附録』巻之7 那珂郡より引用
春日神社(赤丸の地点に御潮井橋) - 『筑前國続風土記附録』巻之7 那珂郡より引用 

春日神社(ミヤヤマ 神殿方3間・拝殿2間半3間・石鳥居1基・祭礼9月9日・奉祀藤野加賀井巫女)

産神也。(中略)祠は村中にありて東に向へり。 社庭の中ほどに旧宮の阯とて杉2株あり。 社内に白山権現・三郎天神・若宮・観音堂あり。 鳥居は寛永7年(1710)黒田美作一利剏立す。 縁起1軸あり。 黒田一利家僕吉成尹貞(えら)へり。

社前の左右に神池あり。 右を猿澤の池と名つく。 旱魃(かんばつ)にも水かれすと言。 鳥居の前にも神池あり。 めくりに古松多し。 白紫の藤はひまとへり。 花の時見るには堪たり。 神社の前、左右に老松あり。神木といふ。

また社の艮[4]3町(ばかり)道の傍に大楠1株立り。 樹下に石神あり。 黒男大明神といふ。 其前に清流(御笠郡牛頸山より出、此村を経て瓦田川に入り末は比恵川と一つになる。)あり。 春日川[5]と言。 潮井場[6]也。

此川の向ひ5町余も小高き松林(ナラマツといふ。)あり[7]。 古しへ神幸ありし時の頓宮地也とそ。 山下に御祓石といふあり。 里民ハミソイシとも言。

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脚注