大悲庵跡
曹洞宗
☆☆☆
伊藤氏参拝済
新千手四国霊場第50番
新千手四国霊場第85番
歴史
『筑前国続風土記拾遺』巻之26 嘉麻郡 下 貞月村の項に下記の記載がある。
大悲庵
本村に在。 小庵也。 本尊観音側に愛染明王地蔵仏を置り。 禪宗洞家福岡長圓寺の末也。
開基の僧を瑞門無関禪師といふ。 此村の産にて俗姓ハ手嶋氏なり。 長圓寺湛譽か法弟にて知行才學あり。 緇流[1]の末弊を憎み憤り護法塵露編一冊を著す。 印行[2]して世に傳ふ。
其中に瑞門一年上洛し東山建仁寺に善本の蔵經有と聞、 それを見むとて書簡をかの寺に通して是を請しかと、寺主不レ許。 故に再三反復して詰問せる語なと有。 其気象筆鋒に頗る顯れて誠に一奇衲なり。
此村天満宮縁起并大悲庵の記を撰ミたる今に在。
上の無関禪師と南禅寺開基の無関禪師(大明国師)との関係は分からない。 が、『筑前国続風土記拾遺』が書かれた時代には、南禅寺は既に存在し、作者の青柳種信も無関禪師のことは知っていたとは思うが、 南禅寺・大明国師については一言も触れていない。 不思議である。
上の「無関禪師」と大明国師とは無関係であることを前提に言えば、 言っては失礼ではあるが、このような土地で学習し、本を著しその上遠い京都の建仁寺の経蔵にまで興味を示す無関禪師はすごい人だったのであろう。 境内には「無関禪師」と台座に銘のある石製の坐像もある。
伊藤氏メモそこはかとなく哀愁を感じる、田圃の中の一画。16仏堂と軒を連ねる小堂は「新千手四国50番及び85番」札所となっている。()
ひとくちメモ
大悲庵跡は、嘉麻市のほぼ中心部の田んぼが広がるその真ん中にある。 ここから見渡す東西の山並・田園風景はなかなか良い。 地元の方々がされているのであろう、境内は綺麗に清掃されている。
現在残っているのは、観音堂とわずかな石仏・石塔のみである。
写真
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