heritage 聖壽山 麟翁寺(りんのうじ) [麟翁禅寺] 曹洞宗 ★☆☆ 坐禅 写経 伊藤氏参拝済 秋月街道大隈宿 母里太兵衛友信の墓所

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〒820-0302 福岡県嘉麻市大隈町1023   標高:54.8m 地図 GMAP 0948-57-0207 
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歴史

下に境内の案内板の内容をそのまま記す。

略記

当山の縁起は勇将福島正則から日本号を呑みとって今もなを今様歌(酒は呑め呑め)に名を残して居る 母里太兵衛友信[1] が黒田藩益富城主として当大隅の地に生涯を終えてその佛果菩提のために「釈迦牟尼如来」を本尊として建立せられた當在説法の道場にてその歴史極めて古く 実に三百四十有余年法燈連綿昭和の今日に及んで居る。

伊藤氏メモ里太兵衛友信公墓所の案内板の一部を次に記します。

母里太兵衛友信(ぼりたへえとものぶ)(1556-1615)は安土桃山時代から江戸時代初期の武将。播磨(現:兵庫県)の生まれで、幼少より黒田官兵衛とその息子長政に仕えた。色白で鬚は濃く長身で、初対面の人は驚き恐れたといわれている。

常々、秀吉が家臣にしたいと官兵衛に頼んだとも伝えられるほどの槍の名手で、黒田24騎の一人にも数えられた。

太兵衛公は、晩年をここ大隅の地で過ごし、享年60で亡くなった。当寺は、太兵衛公を開基として、その菩提を弔うため元和元年(1615)に建立された。墓所には、向かって左から太兵衛公(本人)、友清公(孫)、友晴公(子)の墓が3基並んで建てられており、現在もこの地で眠られている。

なお、本堂本尊右側には太兵衛公の位牌がある。また本堂の大きな扁額は永平寺管長の書による。現第15世。()        

参考:『筑前國続風土記』

ひとくちメモ

麟翁寺は市役所嘉穂庁舎の裏手に伽藍を構えている。 境内には母里太兵衛福島正則から呑みとったと云う槍(日本号)のレプリカが陳列されている。 実物は福岡市博物館に所蔵されている。

本堂に向かって右奥に墓地があり、母里太兵衛の墓がひっそりと建っている。 山門は益富城の搦手門(からめてもん)を移したものという。

本堂は戦国武将の菩提寺らしく、がっちりとした構えをしている。寺前は旧秋月街道が通っている。

ここには、母里太兵衛ゆかりの3ケ寺が軒を連ねている。 北から順に福円寺、この麟翁寺、光円寺である。 お見逃しなく。

写真

  • 本堂
    本堂 
  • 山門
    山門 
  • 本堂の扁額
    本堂の扁額 
  • 鐘楼
    鐘楼 
  • 全景
    全景 
  • 母里太兵衛の墓
    母里太兵衛の墓 
  • 日本号(レプリカ)が陳列されている建物
    日本号(レプリカ)が陳列されている建物 

『筑前國続風土記』巻之12 嘉麻群 ○麟翁寺(禅宗)

下益村にあり。大雄山と號す。 長政公の家臣毛利但馬、此邊を二萬石領しけるが、 卒して後此寺に葬る。 但馬の追號を麟翁と云。 故に寺の名とす。

筑前國続風土記拾遺』巻之26 嘉麻群 下 下益村の項

横町に在。聖壽山と號す。 禪宗曹洞家上臼井村永泉寺の末也。 初は大雄山永仲寺といひしか、元和元年(1615)毛利但馬友信を寺内の葬り麟翁と諡す。 因て寺号を改む。 墓碑に麟翁紹仁慶長(1615)20年6月6日とあり。 位牌には當寺開基毛利但馬守禪居院の12文字を記せり。 又花嚴宗榮(毛利主計寛永11年7月17日)及家人の墓あり。

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脚注