bukki 幽心地蔵尊(ゆうしんじぞうそん) 不詳  YUUSHIN JIZO

  • 幽心地蔵尊
    幽心地蔵尊 
  • 幽心地蔵尊(左手前方は可也山) - 裏手より撮影
    幽心地蔵尊(左手前方は可也山) - 裏手より撮影 
  • 可也山 - 弁天堂脇より撮影
    可也山 - 弁天堂脇より撮影 
住所
〒819-1121 福岡県糸島市荻浦715 標高:1.9m MAP GMAP  
検索
同地区同宗派寺院  4km以内

歴史

地蔵尊の傍らの石碑の内容を下に記す。

幽心地蔵尊の由来

福岡藩は、年貢収入を増やそうと雷山川尻の潟地の干拓を計画した。 元禄10年1697辺田(小富士)干拓ができ上がったが、次に加布羅ママから西へ1kmの堤防を築き、南へも堤防が築かれて荻浦下60haの広い干拓地ができた。

まだ西の千早新田[1]の出来るずっと前の事である。 加布里湾の荒波が堤防を何度もこわすので、これは竜神の怒りだという事になり山伏の幽心が自ら犠牲になりおさまる[2]

その後そのあたりで人魂がでる様になり荻浦の庄屋重富忠助と前原の庄屋垣生(はぶ)喜平次が相談し寛政9年1797幽心を地蔵尊として祀り荻浦と前原と交代で祀りが続けられている。 石は、もとの幽心堤防の石[3]である。

平成5年1993荻浦区で改築された。 その後、平成19年2007垣生喜平次の子孫が由来碑を建立する。

幽心地蔵尊は、本人が犠牲になった堤防があった場所の上に立っているようだ。 現在は周辺も含め畑地・牛舎となっておりその面影は無い。Links① に詳細な図が掲載されている。

町名「荻浦」は「おぎのうら」と読む。

ひとくちメモ

尊像は長年、風雪にさらされた為か少し細くなっているようだ。

当地蔵尊の裏手は広大な田畑となっている。 前には泉川の河口があり、その先には可也山が真正面に見える。 泉川沿いの堤防の上の大木の下には弁天堂がある。

写真

  • 幽心地蔵尊 - 横から撮影
    幽心地蔵尊 - 横から撮影 
  • 遠景(写真中央が幽心地蔵尊)
    遠景(写真中央が幽心地蔵尊) 
  • 地蔵尊脇の石碑「寛政9年8月4日建立」銘
    地蔵尊脇の石碑「寛政9年8月4日建立」銘 
  • 地蔵尊の後ろの大きな視線席(「垣生喜平次」「重富忠助」の銘がある)
    地蔵尊の後ろの大きな視線席(「垣生喜平次」「重富忠助」の銘がある) 
  • 「幽心地蔵尊の由来」石碑
    「幽心地蔵尊の由来」石碑 
  • 地蔵尊前の萩原排水機場
    地蔵尊前の萩原排水機場 

弁天堂

弁天堂
弁天堂 
弁天堂遠景(木の下。右手は泉川)
弁天堂遠景(木の下。右手は泉川) 
弁財天(自然石に「弁財天」と刻まれている) - 弁天堂内
弁財天(自然石に「弁財天」と刻まれている) - 弁天堂内 
弁天堂 - 裏手より撮影
弁天堂 - 裏手より撮影 
弁天堂
弁天堂 

立派な自然石製のお堂である。かなりの歴史のあるお堂と思われる。

幽心地蔵尊の参拝の最中に地元の方と思しき方が2人通りかかったが、 2人共、当弁天堂に手を合わせておられた。