鎮懐石八幡宮
神道
★☆☆
唐津街道
陰陽石と塞神
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- 〒819-1601 福岡県糸島市二丈深江2143-1 標高:8.3m 地図 GMAP 092-325-0309 ホームページ
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歴史
社伝、『古事記』『万葉集』で「鎮懐石」が詠まれている歌などによれば、神功皇后は応神天皇を懐妊しながらこの地を通って、朝鮮半島に出兵した時、卵型の2個の石を求めて肌身に抱き、鎮懐として出産の延期を祈った。 願いは叶い帰国後、宇美の里で応神天皇が生まれた。
神功皇后が経尺の璧石をこの丘上にお手ずから拝納してからは、世人は鎮懐石と称し、その奇魂を崇拝するようになった。
昔は、深江字津ノ上の石垣で築かれた高台に社殿があったが、場所が狭く祭典にも不便を来していたので昭和11年(1936)、当地に遷座した。
門前の道は唐津街道である。
ひとくちメモ
門前は今でこそ右手にJR筑肥線の線路が走っているが、すぐ近くまで海岸線がせまってきていたと思われる。 旅人は右手の海を見ながら唐津に進んだのだろう。 八幡宮には展望台があり、そこから眺める唐津湾は絶景である。
境内には、万葉歌碑・鎮懐石碑・船繋石・塞神と陰陽石などの石像物がある。
写真
万葉歌碑
万葉歌碑は安政6年(1859)6月に建てられたもので九州最古のものであるという。 書は豊前中津藩の深江在住であった日巡武澄。
歌碑には、『万葉集』巻5に記録されている鎮懐石の場所と波多江駅家との位置関係を記録し、さらに 山上憶良の長歌・反歌が記載されている。 下に反歌の部分を引用する。 いわゆる、万葉仮名と言われているもので作者にはこれが日本語とはとても思えない。 少し手間がかかるがルビをふってみる。
阿米都知能 等母爾比佐斯久 伊比都夏等 許能久斯美多麻 志可志家良斯母
これを、訳すと下記のようになるという???
天土の 共に久しく 言ひ継げと この奇魂 敷かしけられしも
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