瑞龍山
天寧寺跡
[伊牟田観音堂]
臨済宗大徳寺派
☆☆☆
糸島東部八十八ヶ所霊場第80番
歴史
本寺院は糸島市在住の古賀様から場所を教えて頂いたものです。 以下古賀様から頂いた情報です。()
この一帯には、鎌倉時代に建てられた大きな寺院がありました。
(開山)文永7年(1270)建立、崇福寺の末寺、月谷忠和尚(円通大応国師の弟子)
(中興)大永3年(1523)、大友の家臣臼杵親連修築、山号を瑞龍山、大竜国師怡雲悦和尚が就き、草場城主の菩提寺となる。
(廃寺)柑子岳城落城の際、兵火を受け、一草堂のみとなる。
(再興)元禄11年(1698)、崇福寺の古外禅師が弟子通玄に命じ再興。
(寺宝・文献)草場城主臼杵安芸守親連と家族、大友親世義鑑らの位牌。扁額「瑞龍山 元禄十一年 崇福老隠當寺再興古外書」
境内に「第七十一番」と刻まれた石塔がある。札番の前の文字は判読不可。
札所一覧に「第80番 伊牟田 本尊:観世音菩薩」と記されている。 霊場額は掲示されていないが、場所・本尊が一致している。糸島東部八十八ヶ所霊場第80番と思われる。
ひとくちメモ
門前は県道567号線が走り、観音堂の背後は杉林である。 観音堂内には、十一面観音像が鎮座。かなりの古仏と見える。向って右手には巨大な位牌がある。 堂内には、天寧寺禄高の額・開創前後の記録写真などが掲示されている。 観音堂の裏手の崖の上に墓地があり、その中に「崇福第一座住持通玄弘公禅師」「享保八」と刻まれた墓碑がある。 下の(古賀氏メモ)に記された住持通玄和尚のもののようである。
門前はのどかな田園地帯となっている。 遠く火山も眺めることができる。 県道567号線沿いの参道口から50mほど登った参道脇には右手に山に登る道があり、寺の遺構などないかと途中まで登って行ったが、廃屋が一軒あっただけである。
観音像の背後に木札があり、「昭和59年春遭盗難」と記されている。 通りかかった年配の女性に尋ねると、元々あった観音様は盗まれ、現在安置されている観音像は別のものをよそから持ってきたものという。
(古賀氏メモ)大町公民館の裏辺りになり、同公民館の横からやや上った処にあります。現在は、お堂が2つ並んで立っている(一つは木造、もう一つはコンクリート)のみですが、地元の方々がちゃんとお世話されている模様で、いつもきれいに清掃され花も供えられています。
瑞龍山の扁額が上げられているお堂には、観世音菩薩坐像と石造地蔵菩薩像、上記情報にもある位牌が祀ってあり、自由に出入りしてお参りできます。境内には簡単な手水舎もあります。裏山の小高い地には、歴代の住持の墓と思われるものがいくつかあり、うち一つは元禄期の再興時の住持通玄和尚のものです。()
写真
観音堂の扁額(「元禄11歳舎戊寅中■ 崇福老隠當寺再興外所」銘 ) 十一面観音像(頭部) 観音堂 - 裏山の墓地から撮影 天寧寺禄高(寛永拾年銘・観音堂内に掲示) 観音像脇の大きな位牌 改装前後の記録写真(観音堂内に掲示)平成11年3月付 手水舎 「第71番」と記された石塔 全景(左の建物は納骨堂か?) 裏山の墓地 裏山の墓碑「崇福第一座住持通玄弘公禅師」「享保八」銘 裏山の墓地 門前の風景(麦畑) 門前から眺める火山 門前の県道567号線 伊牟田交差点西側の道標 裏山の杉林(綺麗に間伐されている) 裏山山中の廃屋
『筑前國続風土記附録』巻之44 志摩郡 中 櫻井村の項
天寧寺(テンネイジ 禪濟家 佛堂6間4間)
瑞龍山と号す。崇福寺に属す。開山ハ大應國師なり。 柑子嶽の城主臼杵某か菩提寺なりしとそ。寺内に大日堂あり。
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