勝立寺分院
[禮拝堂]
日蓮宗
★☆☆
歴史
石段を登ると左手に「勝立寺分院」の門柱あり。 日蓮像の台座裏に「昭和癸亥八白歳神無月」の銘。 これは、昭和58年(1983)10月と考えてよいのであろうか? 昭和の干支で癸亥は1983年しか無い(昭和 - Wikipedia参照)。
[素人的考察]この施設の由緒等は不詳である。 ひとつ考えられるのは元寇(1274、1281)の時の蒙古軍・日本軍それぞれの供養塚。 この地の沖合も蒙古軍の軍船がたむろしていた可能性は高い。 両軍の海戦あるいは「神風」により両軍の武将達の遺体がこの地に流れ着いた事は十分に考えられる。 題目碑の基礎部分には多数の古い墓石がみられる。 勝立寺は、志賀島にも蒙古塚を祭祀している。
別称「禮拝堂」は、GoogleMapの表記より採用した。
ひとくちメモ
日蓮像は、若々しいお顔をしておられる。 日蓮の視線の先は引津湾(東南方向)。 境内には、古い墓石を台座にした題目碑・仏足を裏面に彫り込んだ石塔が安置されている六角堂などがみられる。
門前から眺める引津湾・可也山の眺めは絶景である。
歴史の項の[素人的考察]の続きであるが、日蓮像の視線の方向(南東)のずっと先は清正の墓のある肥後熊本。 そこには、日蓮宗ゆかりの加藤清正の墓地がある。 考えすぎかな?
写真
境内風景(上部中央が日蓮像) 境内略図 全景 題目碑全景 ミニチュアの梵鐘(題目碑領域前) 題目碑前の梵字石 題目石の基礎部(墓石のようである) 六角堂 石碑 - 六角堂内 石碑(仏足の彫刻) - 六角堂内 門柱(「勝立寺分院」の文字) 門柱(裏面・象形文字のような図柄が描かれている) 建物跡(日蓮像に向かって左手) 引津湾(先は糸島市の山々) 引津湾 - 門前より撮影
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