松月院跡
[松月庵]
曹洞宗
SYOUGETSUIN ZEN TEMPLE
伊藤氏参拝済
- 住所・電話
- 〒819-1631 福岡県糸島市二丈福井2565-44 標高:17.3m MAP
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歴史
、参拝。本堂にあたると思しき建物の正面には「准四■霊場 本尊観音大士」と記された古い表札が掛けられている。 人は住んでいるようである。 参道脇の畑で作業されておられた初老の男性に、松月院(庵)のことを訪ねたがご存じない。 ただ、「XXさんが住んでおられる」という。 現在は宗教活動はされてないようである。この為、寺号には「跡」の文字を付した。 誤りがあれば訂正します。
『二丈町誌』(平成版)第7章 宗教 第6節 その他の小堂・寺址の項に下記の記事がみられる。
松月庵
大入配崎にある。山崎清誠氏が管理している。「天保11年1840神社仏閣書上 淀川組」(川上文書)に「松月庵、対州領福井村禅宗大法寺末庵」とある。また「観音堂 1宇 瓦葺 2間半紙四面」とあり、境内堂として、瓦葺の地蔵堂・弘法大師堂があった。現在は、仏堂1宇と数基の石碑(供養塔)が建つのみである。
このすぐ東に天神社がある。 また、参道口より西側に100mほど進んだ所に配崎人柱供養塔がある。 (いずれも地図のボタンを押下した時に表示される地図に表示されている。)
ひとくちメモ
伊藤氏メモ個人住宅形式で、寺名表示も見当たらず、寺院の風は伺えませんでしたが、 近在の方によると毎月1日、15日に地域の古老の方々が本院に寄り合っているとの由でした。()
参道口より草に囲まれた参道を進むと入り口がある。 入り口に近づくと、ワンちゃんに吠え立てられた。 かなりしつこい。ワンちゃんがつながれたリールはかなり長く噛みつかれる恐怖が頭をよぎる。 腰を下ろしてしばらくすると、やっとこさ鳴き止んでくれた。
門前からは境内には大師堂・主の尊名がわからない小堂・石塔などがみられる。 住居不法侵入で通報されるとまずいので、門前での参拝とした。
写真
天神社
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『二丈町誌』(平成版)第7章 宗教 第6節 その他の小堂・寺址の項下記の記事がみられる。
天神社
大入配崎にある。山崎清誠氏が管理している。 社殿前に「是従東中津領」と刻した境界石が建つ。 天保11年1840神社仏閣書上 淀川組」(川上文書)に「天満社、1社 但5尺に6尺5寸、瓦葺」「庄屋抱」とある。社殿は、最近、改築されている。また、同文書には、鳥居について「木鳥居。1基、天保5年18342月立替」とある。
鳥居をくぐり広場となった参道を進み、境内に入る直前に国境石がある。 草むらの中である。蜘蛛の巣をかき分け国境石の近くに到着。 周囲は結界のような縄で囲まれている。 文字は南東方向の一面にのみ刻印され「是従東中津(領)」。「領」の文字は地中あるいは草むらに埋まっているようだ。 保存状態は良好。正確な場所はこちら。
当社も松月庵と同じく、建物はあり、人は住んでいるようであるが現在は宗教活動はされてないようである。
配崎人柱供養塔
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供養塔の傍らに設置された案内板の内容を下に記す。
配崎の「人柱供養塔」
昔の配崎は、街道とつながる陸地でしたが、中間の砂地地帯は、海水に侵食されて大潮の時は孤島となることがしばしばありました。
「潮留め」の堤防はよく決壊しました。
全村あげて最後の難工事に際し、堤防の基礎になる穴の中に、若者は白装束で数珠を持ち北の海に向かって立ちました。
次第に砂が掛けられるうち、村人の念仏は鳴き声に変わりました。
工事は成功し壊れることはありませんでした。 今後も末永く語り継がれることでしょう。
福吉工区まちづくり推進委員会
供養塔は、当地区の集落のはずれにある。場所がなかなかわかりづらい。 西に向かって立っている。その先数10mの所には日本海が広がっている。 本事件の詳しい顛末は大入・配崎の人柱伝説 <福吉校区・二丈福井> 配崎人柱慰霊塔/2015年12月: 二丈地理全誌をご覧ください。
供養塔の表裏には細かい文字が刻まれているが、判読できない。 念仏合掌。
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