heritage 二上山(にじょうざん) 眞光院(しんこういん) [真光院] 真言宗大覚寺派 ★☆☆ 写経 玄界灘の眺望 伊藤氏参拝済 福岡市新四国霊場第52番 九州八十八ヶ所百八霊場第106番札所

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〒819-1631 福岡県糸島市二丈福井395-1   標高:39.8m 地図 GMAP 092-325-1687  ホームページ
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歴史

二丈町誌(平成版)』第7章宗教 第4節 寺院の項によれば、 80有余年前、福岡市大手門に創建。 平成3年(1991)現在地に移築という。

ひとくちメモ

眞光院は後に山(二丈岳)・前に海(玄界灘)の絶景の地に伽藍を構えている。 建物は真新しく、境内もキチッと整備されている。 境内から眺める玄界灘・その手前の福井の町の景色は絶景である。

伽藍配置・境内の案内・建物内の仏像などの写真・説明は上のホームページに詳しく掲載されている。 写真は多数撮影してきたが、ここではその一部を掲載する。

二丈浜玉道路(かもめロード)沿いにあるが、車で行くと他の車がかなりの高速で行き来していて見逃すおそれがある。 「牧のうどん」が目印である。

山門前の掲示板に「開門時間 午前9時~午後5時。ご自由にお参りください。」と掲示されている。 ごく普通のことではあるが、作者はこのような掲示がされているお寺は他にあまり記憶がない。 お寺はやはりオープンでなければならない。

伊藤氏メモ境内にお綱大明神があります(位牌あり)。 このお綱のことは、本院のHPに次のように紹介されています。

お綱の夫は、主命により遊女を下賜され城内の上屋敷に住み、 お綱と二人の子供は箱崎の下屋敷に住んでいた。 しかし次第に夫の足も遠のき、生活にも困窮。 そこで下男宗平に「せめて桃の節句には」と、夫に家に戻ってくるよう伝えてもらうも、聞き入れられない。 宗平は奥様に申し訳ないと自害。この訃報にお綱は、最早これまでと子供二人の首をはね腰に下げ、夫と刺し違えようと上屋敷へ。 しかしその凄まじい形相に門前にて刺殺された。

上記の門前にて刺殺された際、お綱が倒れた門はのちまで血の跡が消えず、そこに裃が触れただけでもその武士は高熱を発したという。 以来、お綱の怨霊が篭る[お綱門]と恐れられたという。

お綱門は、中央区簀町の長宮院[1]の寺門に移され、お綱大明神として祀られた。 長宮院は昭和20年(1945)の福岡大空襲で焼失し、お綱大明神は代わって真光院に祀られたが、 その後真光院は現在地に移転したもの。 東区馬出5丁目に、お綱の墓と二人の子供の墓石が松尾芭蕉枯野塚と同居している狭地がある。(お綱さんの墓と枯野塚参照のこと)
:当院の本尊は、大随求菩薩といい豊臣秀吉も信仰したという。
:一昨年に出来た五大堂の中には5体の不動明王。その明王さまの着衣部(胴部)の青色は鮮やかで美しいものです。
:現第3世の女性住職。お参りをしお話を伺い終わったところで、雨足が強くなりましたが、住職が傘を用立ててくださいました。本当に助かりました。ありがとうございました。()

写真

  • 本堂の扁額
    本堂の扁額 
  • 本堂側面
    本堂側面 
  • 護摩堂
    護摩堂 
  • 山門
    山門 
  • 境内風景 - 手前が護摩堂、その奥が本堂
    境内風景 - 手前が護摩堂、その奥が本堂 

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脚注