志賀神社
[観音堂]
神道
★☆☆
馬頭観音
銅造菩薩形坐像
歴史
観音堂は志賀神社境内の社殿のある平坦面より一段低い平坦面の片隅にひっそりと立っている。 明治の廃仏毀釈の折に社殿と分けられたのかもしれない。
当観音堂に鎮座してきた銅造菩薩形坐像は鋳銅製の菩薩形像である。 装飾や印相などから朝鮮半島で制作され当地にもたらされた渡来仏[1]。 島根県出雲市多伎町の本願寺に本像と全く同型同大の像が伝来しており、もともと三尊像の脇侍としてセットで制作されたものと推察される。(企画展での尊像脇の解説板より)
当地の地名「瑞梅寺」の元となった瑞梅寺とも何らかの関連があるのかもしれない。
ひとくちメモ
志賀神社は瑞梅寺のバス停より道なりに300mほど進み、さらに民家の脇を通り山道を数10m登った所にある。 境内には上下2つの平坦面がある。当観音堂は下側の平坦面の隅っこにひっそりと立っている。上側の平坦面に志賀神社の社殿がある。
観音堂は扉も無い間口1間の木造の建物。よく、この場で長年原型を保って鎮座されていたものだと思う。 観音堂に向かって左脇には「馬頭観世音菩薩」と彫られた石塔が大木の根元にあり、その根に呑まれそうな状態。 かなり古いものだろう。
参拝の帰り道、道端で草刈りをされていた地元の古老と立ち話ができた。 草刈りの手を休めて長々と付き合って下さった。() うかがった内容を下に記す。
- 志賀神社の祭事は昔は一月に4日ほどの頻度であったが、住人の減少の為、現在は年4回程度に減少している。
- 銅造菩薩形坐像は10年ほど前、誰かに持ち去られたが、ほどなくして戻って来た。持ち去った輩の手によるものかはわからないが、傷んでいた右手が中途半端に修復されていた。持ち去ったのは修復しようとした為かもしれない。
- 住人の減少の為、銅造菩薩形坐像の管理が行き届かず、伊都国歴史博物館に移管するかどうか地元で話し合いがおこなわれている。移管した場合は観音堂には銅造菩薩形坐像の写真を掲示する案も出ている。
観音堂内に長年鎮座してきた銅造菩薩形坐像は2020年1月〜3月、伊都国歴史博物館の企画展『糸島仏 ~いとしまのみほとけ~』に展示された。当ページの仏像の写真は同館に許可を得て撮影した。
写真
銅造菩薩形坐像(側面) - 伊都国歴史博物館にて撮影 観音堂内(赤丸の場所が銅造菩薩形坐像の座) 欠落した右手 - 伊都国歴史博物館にて撮影 観音堂 観音堂 杉木立の間に垣間見える瑞梅寺の田園風景 - 志賀神社社殿を背にして撮影 馬頭観音(大木の根に呑まれている) - 観音堂脇 馬頭観音(大木の根に呑まれている。別角度より) - 観音堂脇 観音堂の鰐口
志賀神社
久しぶりに神々を感じるお宮に参拝出来た。苔むした境内は杉木立で囲まれている。 拝殿の前には幹周り≒5m・樹高≒36m・推定樹齢>350年の大イチョウがある。根元は社殿を持ち上げんばかりである。
参道口付近から上は山の中腹となっており、糸島市の町並みを遠くに眺めることができる。
参道・境内共見通しは良いが、人気が少なく単独行は避けた方が良い。参道は民家の横を通っており、泥棒と間違われないよう心配りが必要。
参拝経路を当ページの上部に地図を掲示しています。経路の順に下の写真に参拝順路の番号を付して掲示しています。
『筑前國続風土記附録』巻之42 怡土郡 下 瑞梅寺村の項に下記の記事がみられる。
志賀大明神(神殿方3尺・拝殿2間四方・祭礼9月9日・奉祀徳安出雲)
村の南山の傍にあり。瑞梅寺村の産神也。 祭る所志賀三座也。鎮座の始詳ならす。社内に祇園石碑あり。