白龍山
妙現寺
日蓮宗
★☆☆
大仏
伊藤氏参拝済
歴史
『二丈町誌(平成版)』第7章宗教 第4節 寺院の項によれば、 二丈福井の佐々木久右衛門富綱が文政5年(1823)に開基。
終戦後の窮乏のため檀徒による墓地整備の余裕は無かったことから、昭和26年(1951)頃第7世大塚英源師が平等な納骨堂の建立を発起。 地元の有志・檀徒に協力を仰ぎ昭和30年(1955)3月30日に落成。 大仏はこの納骨堂の上に造られた。像高は1丈(約4.5m)という。
ひとくちメモ
糸島市から唐津方向を二丈浜玉道路(かもめロード)を走って行くと、左手の山の中腹に 大仏様(像高5mはあろうか)の大きなブロンズ像が見える。 その大仏様の下に妙現寺は伽藍を構えている。 裏山は東から浮嶽、十坊山である。
石段を登ると、広い境内がある。 境内から眺める北側の眺望はなかなかのものである。 福吉の田園地帯を東西に走るかもめロード、その先には唐津湾が見える。
なんとか、建物の裏手に鎮座する大仏様の足元まで行こうとしたがそこへの通路が見当たらず断念した。 鐘楼の床は玉石で凝った細工が施されている。
伊藤氏メモ本寺の縁起書き(パンフレット)をいただきました。以下、その要旨を記します。
[二丈町福井の富豪、佐々木右衛門富綱が30歳を過ぎた頃、原因不明の難病にかかり、 医者にも見放され死を待つのみとなった。 ある日、諸国巡行の千願寺詣りの行者が通りかかり、「私の勧めるお題目を唱えて祈ってみなさい」と言う。 富綱、ワラにもすがる思いでお題目信仰に励む。 不思議や、さしもの難病は薄紙を剥がすように全快する。ここに、富綱、 浄土宗より改宗して法華経お題目の信仰に入る。 改宗より20余年、同信の者と妙法講を結成。明治13年(1880)宗祖の六百遠忌を迎えるため、経堂の建立を計画。 明治15年(1882)、現在地に完成し、法性寺(現:博多区千代2丁目)の受持、布教所となる。 昭和20年(1945)、妙現寺と改める。昭和58年(1983)、現在の本堂建立。]
本堂内には、日蓮上人の一代を描いた40数枚の額絵がぐるりと飾られています。また、本堂の右側には富綱の碑があります。 現第8世。()
写真
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