天臺山
萬橘寺跡
天台宗
☆☆☆
日吉神社
歴史
文永年間(1264-1275)には既に存在していた天台宗寺院。 5つの塔頭寺院を擁してした。 寛政(1789-1801)の頃には、本尊の阿弥陀仏を祀った草庵が残っていた。 その後、いつの日か廃寺となったようだ。
場所は「師吉村のタニ」。龍頭山雲乗寺も「タニ」にあったと言われるので同寺の近くと思われる。(以上 『筑前國続風土記附録』・日吉神社社殿の由緒書より) 正確な場所は不明。
当ページのMAPボタンを押下して表示される場所は雲乗寺の東南側を示しているが、システム的に場所を示す必要があるため仮に定めたものである。。
町内の日吉神社は萬橘寺の空念という僧侶が勧請したもの。
ひとくちメモ
日吉神社は糸島西部八十八ヶ所霊場の札所探索中に門前を通りかかり急遽の参拝となった。 社殿前の由緒書がきっかけで、萬橘寺が昔このあたりに存在したことを知った。
『筑前國続風土記附録』巻之45 志摩郡 下 師吉村の項
日吉神社(ムラウチ・神殿方5尺・拝殿2間3間・石鳥居1基・祭礼9月28日・奉祀大神多門)
産神也。 祭る所大己貴命・少彦名命・事大主命なり・ 鎮座の年歴不詳。 社内に五穀神あり。
(中略)
○萬橘寺跡(タニ)
天臺山と号して昔ハ大寺なりしといふ。 今ハ草堂に昔の本尊の阿弥陀仏あり。 此辺の字をバンキチジといふ。 又長壽庵(タニ)・見正庵(アカマタ)・福泉寺(ヤマナカ)・光福寺(イワノヤマ)・ 薬師寺(ミズカミ)等の字あり。これ萬橘寺の塔頭なりしといふ。
日吉神社
![]() | ![]() |
![]() | ![]() |
![]() | ![]() |
![]() | ![]() |
日吉神社は萬橘寺跡の場所推定地点の東200mばかり(直線距離)の地点に鎮座している。
日吉神社拝殿前に貼られた由緒書きの内容を下に示す。
由緒
当神社は文永年間(鎌倉時代の1264年から1275年)萬橘寺の僧空念と云う者勧請せるものなりと云うも其の寺200年前に廃寺となりて跡なし。
萬橘寺は昔天台山と号し巨刹にして5ヶ所の末寺を有すと伝う。 当神社の社殿狭隘にして両岸絶壁なるを以て暴風雨のため東岸壊崩したれば大正11年(1922)11月13日現在地に移転せり。
境内神社に保食神社。
参道口より石段を登ると、広い駐車場がある。 その先にさらに石段があり、そこを登れば社殿がある平坦面にたどりつく。
駐車場・社殿のある平坦面はかなりの広さである。
周辺のスポット(4km以内)
周辺の寺院・仏教施設・他のページは当ページの上部の検索の項の「4km以内」のボタンをご利用下さい。