口止大師
[朝日森神社・野島山]
仏教礼拝所
☆☆☆
朝日森神社
- 住所・電話
- 〒819-1641 福岡県糸島市二丈吉井4210 標高:3.6m 地図 GMAP
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歴史
御堂の縁起等は不詳。分かり次第追記します。 「口止大師」。聞きなれないお大師様の名である。 地元の古老(女性)の話によれば、地域のご婦人方がこのお大師様の前で噂話(おそらくご主人に対する愚痴など)をしても決して他には漏らさない、告げ口しないお大師様なのでこの名がついたようだ。(説明して下さった方は「詳しいことはわからないが」と前置き、少しはにかみながら話して下さった。)
ひとくちメモ
大師堂は福吉魚港の西側にある。御堂の東隣りの小山は野島山という。
御堂の正面には網が張られ内部には入れなかった。 中央の石仏がご本尊「口止大師」のようだ。
御堂周辺は見所たっぷりである。 役の行者、六地蔵塔・石塔・力石、朝日森神社、 JF糸島の建物、周辺の風景など。順を追って記事を書きます。
野島山の頂上から北側は残念ながら木々に遮られて海を見ることができない。 絶景の海は山裾を朝日森神社側に回り、当社の裏から野島山の北側の山裾に行けるのでそこからご覧ください。
写真
役の行者
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野島山の頂上に3基の石祠があり、役の行者は中央の石祠内に安置されている。 石祠の前面はガラスで保護されている。台座には寛政6歳寅(1794)5月吉日銘。 麓からこの頂上までの石段は65段。
役の行者像は綺麗に着色されている。両サイドには脇侍の善童鬼・妙童鬼を従えている。 尊像は真南を向いて鎮座している。優しい目の先には東西方向に唐津街道が通る福吉の町並み、さらにその先には浮嶽・十坊山など昔、山岳信仰が栄えた山々がある。
六地蔵塔・石塔・力石
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役の行者が鎮座している野島山頂上に登る石段の左手には六地蔵塔・石塔が見られる。 石塔には「嘉永5壬子(1852)春吉日 龍生山般右院實言代」銘がある。 石塔の下部には姪浜・今宿・下村在であった石工の名が刻まれている。
石段の右手には「力石」が3個並んで置かれている。下部はコンクリートに埋め込まれている。 脇の案内板によれば、文政4年(1821)頃は吉井浦と福井浦には廻船問屋始め海運業を営む港として栄えており、 大漁を願う海の祭りも盛大に行われ、この力石を持ち上げる力くらべが華を添えたという。
朝日森神社
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朝日森神社は野島山の西側山裾にひっそりと鎮座している。Links② によれば文久2年(1862)、地元出身の関取、梅の谷が京都伏見稲荷より分霊して祀った。祭日である8月21日には、竹戸の白山神社より神主を招いているという。
小さな朱色の鳥居をくぐれば、2基の石祠がある。これが神殿(本殿)のようだ。 隣の木造の御堂は拝殿と思われる。
ここで3匹の猫ちゃんと出会う。3匹共人馴れしている。
JF糸島の建物
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野島山の東側はJF糸島の建物がある。何とも云えず昔ながらの雰囲気たっぷりの建物である。
建物内の棚には恵比寿天像と大黒天像が安置されている。棚の下には「1月14日恵比須 つぼりうた」の歌詞が掲示されている。
棚の下には今ではめったに見られない「ばんこ」もある。
周辺の風景
福吉しおさい公園 - 野島山山頂より撮影 吉井の町並 - 野島山山頂より撮影 吉井の町並 - 野島山山頂より撮影 姫島 - 野島山裏手(北側)より撮影 羽島 - 野島山裏手(北側)より撮影 福吉漁港の防波堤 - 野島山裏手(北側)より撮影
周辺のスポット(4km以内)
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Links
①磯崎野島について <福吉校区・二丈吉井> 磯崎野島/2016年1月: 二丈地理全誌
②福井浦・吉井浦について <福吉校区・二丈福井/二丈吉井> 2016年2月: 二丈地理全誌