仏旗 種寶山 楠田寺趾(くすでんじあと) [楠田禅寺趾] 曹洞宗  FORMER KUSUDENJI TEMPLE 清賀 怡土七ヶ寺第7番 伊藤氏参拝済

  • 本堂
    本堂 
  • 本堂に掲げてある板
    本堂に掲げてある板 
住所
〒819-1122 福岡県糸島市東1298 標高:21.4m MAP  
検索
同地区同宗派寺院  4km以内

歴史

楠田寺趾は怡土七ヶ寺のひとつであった。『筑前國続風土記』巻之22 怡土郡の項に下記のような記載がある。

楠田寺(くすでんじ)

是も此郡七箇寺の随一也。東村の上に在。 今は寺なく、民の柄となりて、住ける僧もなし。小なる地蔵堂一宇有り。

背振山系の山岳霊場遺跡』資料集によれば、楠田寺趾の名は雷山観音 千如寺の大悲王院文書の中にも あらわれているそうで、千如寺との縁も深いようである。

また上記の資料集によれば、 万歳山 龍国寺所蔵の『楠田寺縁起』(延享2年1745銘)には龍国寺12世古瓶守口が曹洞宗寺院として再興したことが記されているという。 現在、堂内には本尊の地蔵菩薩立像のほか、近世のものとみられる位牌および小金銅仏像数点が安置されているという。

本尊の地蔵菩薩には「身替り地蔵さん」の伝説が残っているという。

ひとくちメモ

楠田寺趾は門前の道より細い坂道、さらに石段を登ったところに伽藍を構えている。 今は無住の寺院となっているようである。

伊藤氏メモ本ページの写真(2011年5月撮影)に比べ荒廃が進んでおり心配です。()

2020-02-07、 伊都国歴史博物館冬季企画展『糸島仏 ~いとしまのみほとけ~』にて楠田寺所蔵の小仏・懸仏と龍国寺所蔵の『楠田寺伝』を観てきました。写真を下に掲示します。 『楠田寺伝』は延享2年1745の奥書があり、江戸中期頃にはすでに荒廃していた楠田寺を龍国寺12世古瓶守口が再興した経緯が記されている。(展示場の説明文より)

写真

  • 本堂正面
    本堂正面 
  • 本尊地蔵菩薩立像 - 『背振山系の山岳霊場遺跡資料集』より抜萃
    本尊地蔵菩薩立像 - 『背振山系の山岳霊場遺跡資料集』より抜萃 
  • 祭壇(中央の厨子に地蔵菩薩立像が安置されている) - 『背振山系の山岳霊場遺跡資料集』より抜萃
    祭壇(中央の厨子に地蔵菩薩立像が安置されている) - 『背振山系の山岳霊場遺跡資料集』より抜萃 
  • 参道 - 中央上が楠田寺趾
    参道 - 中央上が楠田寺趾 
  • 楠田寺所蔵の小仏(左)と懸仏(僅か5cmほど。ガラス越しの撮影。ピンぼけしています) - 伊都国歴史博物館冬季企画展『糸島仏 ~いとしまのみほとけ~』にて許可を受け撮影
    楠田寺所蔵の小仏(左)と懸仏(僅か5cmほど。ガラス越しの撮影。ピンぼけしています) - 伊都国歴史博物館冬季企画展『糸島仏 ~いとしまのみほとけ~』にて許可を受け撮影 
  • 龍国寺所蔵の『楠田寺伝』 - 伊都国歴史博物館冬季企画展『糸島仏 ~いとしまのみほとけ~』にて許可を受け撮影
    龍国寺所蔵の『楠田寺伝』 - 伊都国歴史博物館冬季企画展『糸島仏 ~いとしまのみほとけ~』にて許可を受け撮影 


「身替り地蔵さん」

『怡土志摩地理全誌1.怡土編』の東村の項より引用する。

元和の頃1615-1624、 怡土郡西部を領するようになった寺沢広高[1]は、深江干拓や長野川下流の改修や加布里小前の干拓工事を強行させていた。 小庵の楠田寺にも公役の命が来たが、 和尚は出なかった。 ところが、農民にまじって、ついぞ見かけぬ力の強い小僧がまめまめしく働いた。

小僧の帰りに不思議に思った役人が後をつけると、楠田寺の中へ姿を消した。 和尚に尋ねても小僧のことは知らぬというので、 本堂にいって本尊を仰ぐと、 本尊の足元は泥だらけだった。

この後、「身替り地蔵」として有名になり、参詣者が多くなった。 本尊地蔵尊は、高さ1m、 聖徳太子作といわれ、怡土志摩5仏の一といわれる見事な古仏である。 (『糸島伝説集』)

関連寺院(※過去に関連していた寺院も含みます。必ずしも現在関連している寺院とは限りません。)