久家薬師堂
仏教礼拝所
☆☆☆
金毘羅宮
生松天神社
糸島西部八十八ヶ所霊場第19番
- 住所・電話
- 〒819-1331 福岡県糸島市志摩久家2783 標高:10.7m MAP GMAP
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歴史
御堂の縁起等は不詳。分かり次第追記します。
糸島西部八十八ヶ所霊場第19番(本尊:薬師如来)となっている。
御堂名は「久家薬師堂」は作者が仮称しました。
ひとくちメモ
境内には薬師堂の他、石の1体の仏体が安置された御堂がある。 両御堂の周辺には多数の石塔・石仏がみられる。 年号がはっきりしたものとしては、「大乗妙典六十六部日本巡國供養塔 明和4丁亥(1767)冬11月」銘の大きな石塔がある。
参道口(境内の西側)・参道(石段)共幅1mほど、分かりづらい。 参道は民家の間を通っており、公道とは思われるが不審者と間違われないよう注意が必要かもしれない。
北隣りには生松天神社と金毘羅宮が鎮座している。その境内からも当薬師堂へは参拝可能。
写真
薬師堂の扁額 薬師堂内(ガラス戸越しの撮影でぼやけています) 霊場額「第19番 本尊薬師如来 糸島東部八十八ヶ所」 喚鐘 - 薬師堂の軒下 薬師堂 - 横から撮影 参道 薬師堂前の石塔群 参道口(写真中央、車の前輪の先。狭い) 薬師堂前のお堂と薬師堂(右手) 石塔「大乗妙典六十六部日本巡國供養塔 明和4丁亥(1767)冬11月」銘(左手)と庚申塔 薬師堂横の広場の石塔群
生松天神社と金毘羅宮
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境内には生松天神社(向かって左手)と金比羅神社の社殿が並んでたっている。 境内は思ったよりも広い。イチョウの大木もみられる。
生松天神社は寛仁3年(1019)刀伊の入寇による被害を受けたため賊徒退散の祈願の為、勧請された。 はじめは、久家地区の浦の南に鎮座していたが、文政6年(1823)現在地に遷座した。 「生松」は「老松」とも書くという。(社殿前に掲示された由緒書より)
金比羅宮は文政元年(1818)に金毘羅宮総本社より勧請されたもの。はじめは隣の香月区に鎮座。嘉永3年(1851)大雨による山崩れのため、生松天神社の神殿に移した。ところが、社家の家族の身体に異変が起こり、神怒と考え南隣に新しく社殿を構えることになったという。(社殿前に掲示された由緒書より)
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