仏旗 高麗寺跡(こうらいじあと ) 不詳  FORMMER KOURAIJI TEMPLE

  • 高麗寺跡と思われる地点(左手に「首塚」、右手に「怡土城跡」の道標)
    高麗寺跡と思われる地点(左手に「首塚」、右手に「怡土城跡」の道標) 
  • 参道口
    参道口 
  • 遠景(高麗寺跡は写真中央の山の中腹) - 西側より撮影
    遠景(高麗寺跡は写真中央の山の中腹) - 西側より撮影 
住所
〒819-1563 福岡県糸島市高来寺 標高:64.3m MAP GMAP
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同地区同宗派寺院  4km以内

歴史

高麗寺の所在ははっきりしない。 手がかりは下記の2点のみ。

  • 『筑前國続風土記』巻之22 怡土郡 ○高麗寺村の項には「高麗寺の舊址は村より北の方山の上に在。近き世迄礎など残りて有しとぞ。今は畠に成し、其邉を堂地畠と云。其下に今も纔なる観音堂有。」とある。
  • 『筑前國続風土記附録』巻之41 怡土郡 上 高麗寺村の項に「高麗寺跡ダイヂバタ本編にミママえたり。凡2町餘の所を堂地畠といふ。」とある。

上の1.と2.を念頭にしてGoogle mapに登録されている地点に行ってみても高麗寺の遺構と思われるものは雑木林の中にただ平坦面があり、 そこから40mほど北側に首塚[1]が、そこから150mほど登った所に緋脅石(ひおどしのいし)[2]があったのみである。 山中、周辺の集落内に観音堂が無いかも探してみたが発見できない。(2018-12-21)

どなたがこのGoogle mapに此の地点を登録したのかはわからないが、拙サイトではこの地点を高麗寺の跡地とすることにしよう。

『筑前國続風土記』によれば、弘安の役1281で元軍と共に戦って戦士した高麗人の首をこの付近に埋め 、この寺を建立して供養したという。 首を埋めた場所については「彼高麗人の首を埋みしと云所、今は塚は無くて、甲掛松(よろいかけのまつ)[2]」の下に唯其址と云傅へたるのみにて、首塚と云べき所に非ず。此近村三雲に、高麗人の首を埋しと云傅へたる塚有。高麗人の首をば三雲に埋み、寺をば(ここ)に立にしや。」とある。

尚、開山・開基共不詳。 この場所のすぐ東側には怡土城第5望楼跡・さらに登った所には第4望楼跡などがある。 弘安の役の頃は原田氏が怡土城の一部を利用して高祖城を構えていた。 原田氏がこの寺に関係していた事は十分考えられる。

ここより南側300mほどの地点に霊鷲寺(創建は奈良時代と伝わる)があった。往時は42坊を従えていた大寺である。年代的にみて同寺は弘安の役の当時はまだ勢力は一定程度保っていたと考えられる。 同寺が高麗寺の創建・運営に何らかの役割を果たしたのではなかろうか?

ひとくちメモ

参道口は県道56号線の脇にある。ここからは山道。100mほど登れば高麗寺跡にたどり着く。 雑木林の中である。 跡地は「首塚」「怡土城跡」の道標が立っているのですぐわかる。

境内周辺は雑木林の中にあるが見通しは良好。 ここから坂道を登れば怡土城第5望楼跡→緋脅石→怡土城第4望楼跡などの遺跡を観る事ができる。 ゆっくり歩いても往復20分程度の行程である。

山内は雑木林の中で人気(ひとけ)は無い。特に、緋脅石の前後は足場が悪い。 単独行は避けた方が良い。


写真

  • 首塚(石の墓碑)
    首塚(石の墓碑) 
  • 首塚 - 遠景
    首塚 - 遠景 
  • 高麗寺跡と思われる地点 - 首塚を背にして撮影
    高麗寺跡と思われる地点 - 首塚を背にして撮影 
  • 参道
    参道 
  • 参道途中から見える可也山
    参道途中から見える可也山 
  • 参道口(手前の道は県道56号線)
    参道口(手前の道は県道56号線) 

怡土城第5望楼跡

  • 全景
    全景 
  • 礎石(拡大)
    礎石(拡大) 

怡土城第4望楼跡

  • 標識
    標識 
  • 全景
    全景 
  • 礎石(拡大)
    礎石(拡大) 
  • 山中の道標
    山中の道標