heritage 太祖山 金龍寺(きんりゅうじ) [金龍禅寺] 曹洞宗 ★★☆ 石庭 六地蔵塔 伊藤氏参拝済 糸島東部八十八ヶ所霊場第3番

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〒819-1571 福岡県糸島市高祖1289   標高:81.8m 地図 GMAP 092-322-7031   ホームページ
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歴史

金龍寺境内の石碑によれば、永正5年(1508)高祖(たかす)城々主原田興種公が父弘種公菩提の為に創建したとある。

筑前続風土記』巻之22 怡土郡 金龍寺の項に「天正15年(1587)に原田氏當國を去て肥後國に往し[1]後は、衰微に及べり。 慶長16年(1611)、長政公の家臣高橋伊豆、此寺の檀越(だんおつ)と成り、彼寺を城下に移さん事を推挙 して、荒戸山に寺地を給はり、高祖村より寺を移せり。」 「然れ共其奮地なればとて、此所にも寺を残し置て今に在。」とある。

これらのことから、この太祖山 金龍寺と福岡市の耕雲山 金龍寺とは深い関係にあることが分かる。 参考:『拾遺

ひとくちメモ

金龍寺の裏手にある高祖山には怡土城跡がある、ここでは詳細には述べないが8世紀頃に建てられた山城跡である。 高祖山は山道が縦横にあり、まる一日かけて回るにはもってこいの場所である。 分岐点には丁寧に道標が設置されているのもうれしい。

山門前・庫裡前の石庭は見事である。本堂に向って右奥には原田家累代の墓碑群がある。 境内は高祖の西側中腹にある。可也山・雷山山系・高祖地区の町並みを一望できる。

伊藤氏メモ現本堂は昭和56年(1981)の建立。現第30世。現住職の兄上は門司の崇聖寺でご住職を務められているとの由。()

写真

  • 金龍寺前の石庭
    金龍寺前の石庭 
  • 山門
    山門 
  • 鐘楼
    鐘楼 
  • 梵鐘
    梵鐘 
  • 高祖山(写真中央左に金龍寺) - 西側約1km西の伊都国歴史博物館より撮影
    高祖山(写真中央左に金龍寺) - 西側約1km西の伊都国歴史博物館より撮影 
  • 山門脇の六地蔵塔
    山門脇の六地蔵塔 
  • 山門脇の地蔵様
    山門脇の地蔵様 
  • 石に仏が刻まれている
    石に仏が刻まれている 
  • 山門-境内から撮影
    山門-境内から撮影 
  • 参道-山門を背にして撮影
    参道-山門を背にして撮影 
  • 原田家累代の墓所入口
    原田家累代の墓所入口 
  • 原田家累代の墓所
    原田家累代の墓所 
  • 本堂に向って右奥に向かって右手の建物
    本堂に向って右奥に向かって右手の建物 
  • 可也山 - 境内より撮影
    可也山 - 境内より撮影 
  • 雷山山系 - 山門を背にして撮影
    雷山山系 - 山門を背にして撮影 
  • さくらんぼの一種か? - 山門脇
    さくらんぼの一種か? - 山門脇 

筑前國続風土記拾遺』巻之46 怡土郡 上 高祖村の項

高祖神社・金龍寺(右手に金龍寺が描かれている) - 『筑前國続風土記附録』挿絵
高祖神社・金龍寺(右手に金龍寺が描かれている) - 『筑前國続風土記附録』挿絵 
高祖神社・金龍寺(巻之10怡土郡)
高祖神社・金龍寺(巻之10怡土郡)
『筑前名所図会』

金龍寺

太祖山と号す。 禪宗洞家周防國吉敷郡山口瑠璃光寺の末院なり。 永正5年(1508)高祖城主原田彈正小弼興種開基し、 其父弘種の菩提寺とす。 (弘種は去明應5年(1496)正月29日に没す。(以下略))

寺内に見桃院殿の墳墓及原田氏代々の墓碣(18基。昔は境内に散在せしを、近代住僧石を一所に集めり。) 及位牌あり。 また龍光院殿[2] 霊源院殿[3]の尊牌を置り。 また手塚甚兵衛(水雪か男)か墓あり。

什物に原田(了栄)寄進の金舎利塔(高1尺)1基あり。 昔兆典司か書る涅槃像ありしか、先年火災に焼失して今はなし。

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脚注