heritage 龍江山 法正寺(ほうしょうじ) 浄土真宗本願寺派 ☆☆☆ 伊藤氏参拝済

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〒819-1331 福岡県糸島市志摩久家2911-1   標高:5.5m 地図 GMAP 092-328-2609 
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歴史

筑前國続風土記拾遺』巻之50 志摩郡 下 久我村の項に下記の記載がある。

法正寺

浦内に在。 真宗西本願寺直参也。 寛永12年(1635)寺号木佛を許さる。 此寺初は今津に在りしを中頃舟越浦(殿屋敷)に轉し後に此浦に移せリと云。

寺に釈迦像(栴檀(せんだん)木)1軀有。古佛也。 又古鏡1面(徑2寸8分)有。 共に原田家より傅へたりといふ。 境内に毘沙門堂有。

伊藤氏メモ『糸島郡誌』によれば、元々今津にあった際には真言宗であったが、移転の際に改宗したとのこと。また、開基を了清(俗称:原田民部少輔政種)といい、天正16年(1588)の創建という。 現本堂は内部改装はしているが、300年以上にもなるものとのこと。現第16世。()

Links② によれば、政種たち一族は戦国武将の家柄。主君は転々としたが、最後は高祖城主の原田氏であった。天正15年(1587)豊臣秀吉が大軍を率いて九州入りしたため、原田氏は戦わずして高祖城を明け渡してしまった。 この頃、政種が武家を捨てて、隠遁し法正寺を開基したとされる。 海賊から船越浦の人々を死を賭して守った源蔵(法名:善應)の悲話(伝説)が残っている。

了清は善應のために船越の浦に地蔵(善應庵)と善應地蔵を建てて供養したという。

ひとくちメモ

門前の街並みは漁師町らしく狭い道が入り組んでいる。 境内には立派な藤棚がある。

寺の西側には「船越のカキ」というブランドで牡蠣を売り出している。 寺の裏手には「海軍航空隊玄海基地跡」がある。

地名の「久家」は「くが」と読む。

伊藤氏メモ引津湾からの海の香りが漂ってくるお寺です。引津保育園を併設。()

写真

  • 本堂
    本堂 
  • 本堂の扁額
    本堂の扁額 
  • 境内風景 - 本堂を背にして撮影
    境内風景 - 本堂を背にして撮影 
  • 藤棚
    藤棚 
  • 船越漁港
    船越漁港 
  • 遠景(白いドームは海軍航空基地跡) - 船越漁港より撮影
    遠景(白いドームは海軍航空基地跡) - 船越漁港より撮影 
  • 北側の山門
    北側の山門 
  • 梵鐘
    梵鐘 
  • 喚鐘
    喚鐘 

船越のカキ

牡蠣小屋
牡蠣小屋 
牡蠣小屋
牡蠣小屋 
牡蠣小屋
牡蠣小屋 
遠景 - 船越漁港より撮影
遠景 - 船越漁港より撮影 

大体10月末から翌年3月くらいまでの季節限定。牡蠣小屋が軒を連ねる。 旬の牡蠣ほか、サザエ、その他魚介類を堪能できる。 普段は静かな漁師町だが、この時期だけは牡蠣を目当ての車が殺到する。 町の中の道は生活道路。気配りお忘れなく。

波静かな船越湾岸では、ここ船越に限らず、福吉・加布里・岐志などで牡蠣がメインの小屋が立つ。(参考:カキ小屋 – 糸島漁業協同組合)

ちなみに、当船越漁港周辺の波止では一年を通して海釣りも楽しめる。


海軍航空隊玄海基地跡

記念の建物
記念の建物 
石碑
石碑 

この大きな白いドーム型の建物は第634海軍航空隊の本部の跡地に建てられた記念の建物のようだ。

船越湾を水上飛行機の離着水路として、本部[1]周辺及び久家・香月の両地区に主要施設を配置すると共に、集落の民家、お寺等の施設を付帯施設・宿舎としていた。さらに、対岸の松末、引津湾岸の岐志・新町から小学校、東貝塚、さらに小富士海軍航空隊に弾薬庫を置くなど広範囲におよんだ。 終戦間近の時期の本土決戦に備えての基地であったようだ。(案内板より)


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周辺のスポット(4km以内)

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脚注