舞岳山
法林寺
浄土真宗本願寺派
☆☆☆
唐津街道
伊藤氏参拝済
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- 〒819-1116 福岡県糸島市前原中央3丁目6-28 標高:12.9m 地図 GMAP 092-322-2494 ホームページ
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歴史
山門脇の御影石製の案内板の内容を下記に記載する。
舞岳山 法林寺 由緒
天正2年(1574)2月7日、舞岳(城の尾、笹山)城[1]主 劉(後に笠と改む)次郎繁種は、 出家し願了と称し、城辺(寺浦)に当寺を創せり。
天正4年(1576)願了は、法城護持のため、門徒と共に石山一向一揆に加われり。 その際の刀剣、長巻は寺宝として存せり。
二世玄照(後に願了と改む)を経て、三世玄照は黒田孝高、長政公の随喜[2]せし宝林霊華法師の子にして、入寺の際、母、 佐渡子より寺宝である蓮如上人筆の「身代わり名号」を受く。
四世玄入は、貞享2年(1685)前原宿駅の造営に伴い、寺基を宮本町(旧町部中央)に移せり。 その際、黒田藩より、寺田8反余を賜る。
(中略)
十五世泰信、昭和32年(1957)元宿場本陣跡に在りし前原小学校(前原尋常高等小学校)の跡地に寺基を移せり。
伊藤氏メモ糸島郡志に次のとおりあり。現第16世。()
第3世玄照は黒田元高の庶子・長政の異母弟なり。元高の愛妾佐賀子に二人の男子あり、 共に出家して本願寺に帰し、兄志摩は福岡簀子町正法寺の開基となり、弟伊予は法林寺第3世の嗣法となりたるなり。
参考:『筑前国続風土記拾遺』
ひとくちメモ
法林寺は旧唐津街道前原宿の藩主が宿泊する施設である本陣があった場所に伽藍を構えている。
上の案内板にもあるように戦国時代末期からの古い歴史のあるお寺である。
本堂は近代的な鉄筋コンクリート製である。山門を入って右手に鐘楼と思われる鉄筋コンクリート製の建築物があるが、鐘は無かった。 お参りした折、尋ねようと思ったが、お寺に丁度他の来客がありまた、年末でもあったので遠慮して伺わなかった。 修理にでも出しているのであろうか?
伊藤氏メモ糸島地区には珍しく本堂は鉄筋コンクリート造です。これは、昭和32年(1957)の移転新築の際からのもの。りんでん保育園を併設。
写真
『筑前国続風土記拾遺』巻之50 志摩郡 下 前原村
中町に在。真宗本願寺末なり。 開基の僧を願了といふ。 寛文7年(1667)5月寂如上人より木佛寺号を許さる。(元本町に在。後に此処に移せり。)
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