heritage 上宮山 教法寺(きょうほうじ) 浄土真宗本願寺派 ☆☆☆ 伊藤氏参拝済

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〒819-1562 福岡県糸島市井田432   標高:29.6m 地図 GMAP 092-323-0859  FACEBOOK TWITTER
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歴史

門前の案内板の内容を記載する。

上宮山 教法寺 沿革

上宮山教法寺は当山第7世釈大信の「教法寺の由来記」を見ると、 「怡土群井田村上宮山教法寺開基は原田了栄(高祖城主)の士官、原田何某といふ人あり、 佛法に帰依し剃髪して玄意と号す。則ち家紋はスワマ同表菊なり、 準如上人(1577-?)より教法寺と下され候。」 開基は原田了栄の家臣であったことが窺われる。

天正15年(1587)3月豊臣秀吉が九州征伐のため西下、 了栄の孫、信種はあくまでも高祖城に籠り、秀吉に抵抗したために秀吉の怒りにふれ、 高祖城は落城し領地没収の憂目に遭っている。 天正15年と云へば今から420年前になるが、玄意は80代続いた高祖城原田家の菩提を念じて、 原田家菩提寺金龍寺を前方に見る所、井田の地に教法寺を開基した事が首肯される。 (開基400年法要・昭和62年厳修) 開基原田玄意は、当時飯塚の明正寺の末寺であった、 早良郡金武の四箇村、 明法寺の衆徒として得度した事が古文書で知られるが、 同じく教法寺の寺号を賜ったのが準如上人の時であったことが、 第4世清雲(元禄16年6月13日)の覚書で知ることができる。

又、8世玄調(志摩町岐志、海徳寺より入寺)の「諸要記録」によると

  • 1.阿弥陀如来 開基佛 1幅
  • 1.阿弥陀如来 聖徳太子御筆佛 1体
  • 1.六字名号 蓮如上人御筆 1幅

とあり、玄調が入寺した当時は己に聖徳太子(上宮太子)御作佛 阿弥陀如来像が現存していた。

現在、教法寺に寺宝として安置している。 (平成19年修復歓声法要)因に山号は上宮山となっており、 聖徳太子を上宮太子と呼ぶところから、上宮山と称している。

寺宝

  • 1.伝、聖徳太子御作佛 阿弥陀如来 1体
  • 1.蓮如上人御筆 六字名号 1幅
  • ※寛永2年 常樂台 証文 1幅
  • 1.細川忠興候(三斎宝立)御禮状 1幅

平成20年5月 第14世釋尚史 謹記

参考:『筑前国続風土記拾遺』

ひとくちメモ

教法寺は井田地区の田園地帯にある。 東に高祖山、南には雷山山系がそびえる。 門前には雷山山系の井原山に通じる県道563号が通る。

本堂は近年改装されたようで鉄筋コンクリート作りである。入り口の両サイドの柱には、 何やら文字が記されているが作者は読めなかった。かなり風格のある字体である。 鐘楼も近年のもののようでコンパクトにできている。その後ろには親鸞聖人像が立っている。

伊藤氏メモ現本堂は40~50年ほど前の建立。2~3年ほど前に塗り替えを行い現在の姿に。現第15世。()

写真

  • 親鸞聖人像
    親鸞聖人像 
  • 鐘
    鐘 

筑前国続風土記拾遺』巻之46 怡土郡 上 井田村の項

教法寺

二坪に在。真宗早良郡四箇村明法寺の末也。

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