深江神社
[怡土郡中津領西十四ヶ村総社]
神道
☆☆☆
唐津街道
- 住所・電話
- 〒819-1601 福岡県糸島市二丈深江853 標高:9.2m 地図 GMAP 092-325-0384
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歴史
鳥居前の案内板の内容を引用する。
深江神社語由緒
祭神 玉依姫命(神武天皇の御母)宝満宮・菅原道真命(野見宿称十世の孫)天満宮
建久8年(1197)高祖城主原田種直公は、原田家再興の守護神として、 竈門宝満宮及び太宰府天満宮を上深江片峯に勧請されたが、 境内の狭隘を恐れ、建仁3年(1203)深江現在地に御奉遷鎮座申し上げられた。 これが深江神社の起源である。
降って豊臣秀吉公が名護屋城在陣の折り 天正20年(1592)8月 当社に参拝された時に、奇しくも秀頼公誕生の報を受け、 秀吉公恭悦斜ならず、当社は秀頼公の産神なりと思召された。
早速、時の領主小早川隆景公に命じ、御社殿を再興させられ、なお、秀頼公誕生を記念して深江神社の 宮司の坊を誕生山神護寺秀覚院と改号された。 隆景公も石の鳥居を奉納されたのであるが現在の第2の鳥居がそれである。
慶長18年(1613)唐津領主寺沢志摩守は当社に100間四方の社地を寄進され、 なお大久保加賀守の代に至るまで、年々米2石の献納が行われた。
享保2年(1717)中津領となってからは怡土郡西14ヶ村の総宗廟として、近郷近在の尊崇厚く、 秋の神行祭は殷賑を極め、大正初期までは流鏑馬行事も行われ、盛大な神事であった。
門前の道は唐津街道である。
ひとくちメモ
深江神社の境内は広い。 地元の方のお話によれば、南隣の深江小学校の敷地も境内であったという。 境内には秀吉の茶会跡(社殿左手)、 小早川隆景が寄進したというニの鳥居、文政銘の自然石の手水など歴史ある品々を観ることができる。 (ちなみにニの鳥居は地元の方は「無額の鳥居」と呼ぶらしい。束額に何も文字が書かれていないためという。)
境内を囲う練り塀・石垣も歴史を感じさせるものとなっている。
写真
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