延寿院
浄土宗
☆☆☆
享保の大飢饉
伊藤氏参拝済
糸島西部八十八ヶ所霊場第46番
歴史
本堂脇の案内板の内容をそのまま記載する。
延寿院高里地蔵尊縁起沿革記
延寿院は昭和17年(1942)3月20日正覚寺所属佛堂として福岡県知事(本間精氏)認可を得たるにつき古記録等を調査し又其の他を参考として之を師上人に代り記す。
享保17(1732)、18年に続く大飢饉のとき餓死者町にみち葬式も出来ず 筑前国怡土郡深江高里峠に30有余尺の穴を堀り300余名の死亡者を埋葬せし旨記録されている。
元文3年(1738)7月に餓死者追善会の法要50回忌を営まれその時、 正覚寺11代選誉上人により地蔵尊像が建立された。 寛政2年(1790)教須法師(俗名西町甚作といい、寛政6年7月13日入寂)が 御堂を建てられ、嘉永6年(1853)に正覚寺21代神誉上人が延寿院の号を贈られ 教心連城豊瑞と庵主が住われ人々の信仰を集めておられしも後に住僧豊瑞死後は住僧なきため御堂も荒廃し、 その後隅々有信の男女参詣礼の砌り尊像雨漏りの中に立たせまいし光景を拝し恐擢にたえず。
明治40年(1907)春同士相謀り寛政年間(1789-1801)の創建並に嘉永年間(1848-1854)の再建に傚い深江各町、 道元、福永、淀川等の篤信家に浄戝を勧募し唯尊像を奉安するに足る御堂を設計 以前の古材を利用し7月中旬起工。
明治41年8月24日落成当日は新町外各町有信の男女尊像を奉迎す。
道中御練行列定誉上人随伴厳粛な御遷座式を取行い来客者一同歓をつくし宴酣にして夜に入り散会す。 今是れを録して後世に伝耳すと記録しあり。
昭和57年(1987)11月吉日 二丈町大字深江字新町
ひとくちメモ
延寿院は旧唐津街道 深江宿の一角にひっそりと建っている。 その左隣は町人が集まる新町公民館となっている。 境内・堂内はきちっと清掃されており地元の方々の信仰心の篤さを感じる。
本堂裏手にはイチョウの巨木がある。これはみものである。
延寿院の前の道を200mほど歩くと、松原がありその先は深江の海である。 ここから眺める唐津湾は絶景である。
伊藤氏メモ畳敷きの小さな本堂は、自由に上がって参拝できます。本堂右横には藤棚があります。季節には綺麗に咲き誇ることでしょう。()
写真
本堂内部(中央に地蔵尊、左に弘法大師像) 薬師如来 - 祭壇 弘法大師 - 祭壇 不動明王(左)と役行者 - 祭壇 本堂の扁額 本堂 左手に文政5年銘猿田彦石碑・右手[中]津領の領境石 [中]津領の領境石(文字「中」の部分は破損している) 深江浜 深江浜の松原
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