heritage 曩祖八幡宮(のうそはちまんぐう) 神道 ☆☆☆ 長崎街道 伊藤氏参拝済

住所・電話
〒820-0069 福岡県飯塚市宮町2-3   標高:20.9m 地図 GMAP 0948-22-0511 
検索
同地区同宗派(2)  ( 4km以内 ) MAP  周辺のスポット(7)

歴史

社伝では神功皇后が三韓征伐からの帰途、嚢祖の森に祭壇を設けて天神地祇を祀り、長年つき従った九州の臣たちと別れを惜しんだと伝えられる。 このとき、人々が「またいつか尊顔を拝し奉らん」と口々に言い、この「いつか」が「飯塚」の名の由来であるという。 その跡に作られたのが当社であるという。創建年代は不詳であるが、延文4年(1359)には社殿が建立されていた。

門前の道は長崎街道である。

門前の長崎街道の向かい側に寳月樓跡がある。

ひとくちメモ

境内は多数の木々に囲まれている。

写真

  • 門前の長崎街道 - 飯塚宿に向かって撮影
    門前の長崎街道 - 飯塚宿に向かって撮影 
  • 神門内の狛犬
    神門内の狛犬 
  • 神門内の狛犬
    神門内の狛犬 
  • 飯塚驛
    飯塚驛
    『筑前名所図会』
  • 納祖八幡宮図 - 『筑前國続風土記附録』(中)挿絵
    納祖八幡宮図 - 『筑前國続風土記附録』(中)挿絵 

寳月樓跡

寳月樓跡の石碑(文人墨家清遊の地と書いてある) - 嚢祖八幡宮の街道をはさんで反対側にある。
寳月樓跡の石碑(文人墨家清遊の地と書いてある) - 嚢祖八幡宮の街道をはさんで反対側にある。 

ここには寳月樓跡の石碑があるのみである。 九州情報大学 進藤 康子氏の論文『大隈言道自筆資料『自詠集中抄』によれば、 飯塚での歌会指導の折の大隈言道(おおくまことみち)(1797-1876)の定宿であり、言道を指導者として招いた古川直道、青柳直雄、そして、門下生筆頭の小林重治らが一緒に舟に乗り込み、風雅を楽しんだ場所であったようである。 宝月楼と嚢祖八幡宮の間には、遠賀川からの水をめぐらせて舟が横付けできたとのこと。 また、亀井南冥(かめいなんめい)もたびたび訪れていたようである。


周辺のスポット(4km以内)

周辺の寺院・仏教施設・他のページは当ページの上部の検索の項の「4km以内」のボタンをご利用下さい。