金比羅山
明観寺
真言宗御室派
☆☆☆
伊藤氏参拝済
九州八十八ヶ所百八霊場第11番札所
- 住所・電話
- 〒820-0043 福岡県飯塚市西町2-51 標高:33.4m 地図 GMAP 0948-22-6702
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- 本尊
- 高王白衣観音座像
歴史
伊藤氏メモ明観寺の歴史は、大正14年(1925)高野山嘉穂支部が建立されたことに始まる。昭和5年(1930)熊本県の山鹿にあった明観寺の寺号を移し、玄洋社の社主である頭山満の祈願寺となった。
開山以来、針灸治療所の杏林堂として知られており、このあたりでは明観寺の寺号よりも、杏林堂の方が通りがよい。庫裡と棟続きに診療室がある。
本堂の本尊は実に変わっており、高王白衣観音という。岩座の上に蓮台を乗せ、その上に座している。頭から白い衣を着る、いわゆる白衣観音である。中国風の容姿をしている。高王とは魏の国の王という意である。脇侍として二人の童子を従えているが、これも変わっている。二人とも立像で、赤い腹巻を付けている。向かって右の童子は両手で蓮花を持ち、左の童子は合掌している。他にあまり例を見ない、不思議な三尊形式の本尊である。(『九州八十八所巡礼』より)()
参考:山門脇の案内板の内容
ひとくちメモ
明観寺は飯塚の町の丘の上に伽藍を構えている。 本堂前は石庭となっておりきれいに清掃されている。 山門から東側を眺めると、ぼた山の跡を見ることができる。
案内板にある、清龍寺の出土品はまだ拝見したことがないが、一度アポをとって拝見させて頂きに行こうと思う。
伊藤氏メモ熊本の山鹿から当地へ来て約100年。現第3世。明観寺鍼灸院杏林堂の右隣。 境内は小規模ながら立派な石庭となっており見応えがある。 本堂前の大日大聖不動明王などは、篠栗の大雨洪水で流されてしまった仏像等で、当地から引き取ったものという。 青龍寺遺跡発掘現場より出土されたという瓦は、本堂上がってすぐの右側にガラスケースに入れられ展示されていました。()
写真
山門脇の案内板の内容
真言宗発祥の霊地弘法大師入唐求法 西安青龍寺遺跡出土品奉納寺
今を去ること1200年、 宗祖弘法大師が渡唐され、西安青龍寺、恵果和尚を師として密教の奥義を極め帰国後真言宗を開かれました。
昭和53年(1978)当山住職が訪中青龍寺遺跡発掘現場より出土品を頂戴し、その一部の瓦を明観寺本堂に奉埋致しました。
寺内に展示してありますのが青龍寺遺跡の出土品で、日本でも稀有の有難い品です。
真言宗明観寺住職 敬白
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