heritage 平壽山妙覺院 明星寺跡(みょうじょうじあと) 浄土宗 ★★☆ 聖光上人 ひやんけさま

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〒820-0022 福岡県飯塚市明星寺1449   標高:139.1m 地図 GMAP
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歴史

境内の案内板の内容をそのまま記載する。(段落・西暦年号は作者が付加した)

明星寺(虚空蔵菩薩)

大字明星寺の北谷にあり、平寿山妙覚院と称し開基の時代は不明である。

この寺は康平の年(1058-1064)の火災、 元亀(1570-1573) 天正(1573-1592) の兵火等で焦土と化し何回となく再建されたものである。

比叡山の末寺で虚空蔵を本尊とする寺で老朽化甚しい姿を聖光上人(鎮西上人)(1162-1238)が見て嘆かれ これを再興するため大日寺山[1]に入って柱を切りとり三層の塔を建てた。

当時は大寺で堂舎数多く、 大きな伽藍であったが今はただ虚空蔵堂、地蔵堂、薬師堂のみが残って、そのほかの弥陀堂、観音堂、鏡楼など皆、田、畑となり名称だけが残っている。 又この寺には本坊、是則坊、龍蔵坊、俊光坊、定春坊、楠田坊、花坊、横谷、峰坊、十一坊、谷坊、春海坊がそびえていたという。

又、麓から虚空蔵堂までの道中108の石段と太古を偲ばせる老樹が往年の繁栄を物語っており、 昔は祭日ともなれば露店が境内はもとより通路にも建ち並び客呼びなどで賑わっていたが、今は毎年4月13日に全部落あげて御馳走を造りその日一日を休み、近郷近在からの多くの参拝客を迎える。

当寺は飯塚市津原の宝伝寺が兼務している。(宝伝寺の関係者よりの情報)

参考:『筑前國続風土記』巻之12 穂波郡、筑前國續風土記付録

ひとくちメモ

明星寺跡は福岡市内から行くと篠栗の八木山峠を越え、飯塚市内に向かう途中の山林の中にある。 長崎街道木屋瀬宿の資料を整理中に『筑前國続風土記』巻之12で明星寺跡の記載があることがわかり、急遽お参りに行った。()

上の案内板と明星寺によると、寺域はかなりの規模で、 作者が見た範囲はその一部であることがわかった。 広い寺域には、カエデ・楠・イヌマキ・杉などの巨木が自生しており、それらを眺めるだけでも充分楽しめる。

境内へはもう一つ石段がある。その石段脇にはひやんけさま(明星池)がある。

ひやんけさま前の林道第2龍王線を150mほど南西に進むと法橋琳弁石卒都婆・菩提樹がある。

写真

  • 夜泣き石
    夜泣き石 
  • 石段脇の石碑
    石段脇の石碑 
  • 虚空蔵堂 - 横より撮影
    虚空蔵堂 - 横より撮影 
  • もう一つの参道の石段
    もう一つの参道の石段 
  • 本堂のまわり山林
    本堂のまわり山林 
  • 虚空蔵堂前の灯篭の基石-龍がとぐろを巻いている
    虚空蔵堂前の灯篭の基石-龍がとぐろを巻いている 
  • 虚空蔵堂 - 左手の平端部より撮影
    虚空蔵堂 - 左手の平端部より撮影 
  • 参道の石段
    参道の石段 
  • 参道の石段
    参道の石段 
  • カエデの巨木
    カエデの巨木 
  • 楠の巨木
    楠の巨木 
  • イヌマキの巨木
    イヌマキの巨木 
  • 杉の巨木
    杉の巨木 

ひやんけさま(明星池)

全景
全景 
水を汲んでいる地元の方々
水を汲んでいる地元の方々 
池の隣のお堂
池の隣のお堂 
池内部
池内部 

案内板の内容をそのまま記載する。

明星池

この池は「ひやんけさま」と里人は呼んでいます。 往古から、いかなる(ひでり)続きの大旱魃(かんばつ)にも、 少しの枯渇もなく、常にこの水量を保ち、水質は炎暑の盛夏は、手の切れる様に冷涼で 厳寒の真冬はお湯の様に温かく凍結することは全くありません。

明星寺の御本尊「虚空蔵菩薩」に参拝し、この池のお水を妊婦に飲ませると、 その出産は極めて安産であると伝えられ、現在も近郷近在は勿論遠隔の地からも参拝者が続いています。

従来この池は明星寺の里人で七歳の男児七人が揃った年に清掃するならわしで、明治8年(1875)生まれの男児七人が七歳の年に清掃したのを最後に、男児七歳が揃う事なく、今日に及び、現在里人が年々4月7日に清掃しています。

お水は柄の長い(1.5mほど)大きな柄杓で汲む。 作者も頂いたが、口当たりの柔らかいおいしいお水であった。

地元の方お二方がちょうどお水を汲みにきていたのでしばし歓談。 地元の方のお話では水が良いので時々中に蛇が入っているとの事。 おいおい、飲む前に言ってくださいよ。 また蛇である。(泣)

法橋琳弁石卒都婆・菩提樹の案内板によれば、 この池の中からは2基の滑石真言(県指定文化財)が発見され、 現在、飯塚市歴史資料館で展示公開されているとのことである。


法橋琳弁石卒都婆・菩提樹

石卒都婆
石卒都婆 
石卒都婆の全景
石卒都婆の全景 
全景 - 写真中央の丸い椿の木の先の紅葉したオレンジ色の木が菩提樹である。椿のすぐ左手に石卒都婆の石堂が見える
全景 - 写真中央の丸い椿の木の先の紅葉したオレンジ色の木が菩提樹である。椿のすぐ左手に石卒都婆の石堂が見える 

石卒都婆は、林道脇の平端部にコンクリートブロックで作られた祠の中に安置されている。 残念ながら側面・裏面はブロックのせいで見ることができない。

菩提樹はその平坦地の山際にある。 菩提樹脇の案内板によれば、樹高16m、胸高周囲3.7m。伝説では、鎮西(聖光)上人がたてた杖が成長して菩提樹になったという。 開花は6月10日前後とのこと。

案内板の内容をそのまま記載する。

(県指定有形文化財)元亨(げんこう)二年在銘法橋琳弁石卒都婆(ほうきょうりんべんいしそとば)一基

(前略)

正面に「法橋琳弁(朝)八十一入滅 元亨二年(1322)七月二日」と記されている。 なお、「筑前国続風土記拾遺」「太宰菅内志」には「琳弁」とあるが「琳朝」とも読まれる。

この碑は、おそらく銘文の僧琳弁(朝)を供養するために造立されたものであろう。 四面に五大種子をもつ板碑は類例がなく珍しい。 鎌倉時代末期の明星寺跡の状況を知る上で貴重な資料である。

(後略)

--- 平成2年2月28日 飯塚市教育委員会


『筑前國續風土記付録』巻之24 穂波郡 下 明星寺

明星寺跡図 - 『筑前國続風土記附録』(中)挿絵
明星寺跡図 - 『筑前國続風土記附録』(中)挿絵 

本編に詳なり。

今ハ虚空蔵堂あり。毘沙門の木造を安置せり。

○地蔵堂 虚空蔵堂の(ごん)(北東)、坂の下にあり。

○薬師堂 虚空蔵堂の(こん)(南西)(かみ)のやしきと云う所に有り。 この堂の邊に楓数株あり。秋の末より初冬にいたりて、紅葉まことに美観を極む。 又池水あり。中嶋に弁財天を祭る。 本編に阿彌陀堂・観音堂・鐘楼など皆(はたけ)となりてただ其名のミ残りぬと記せる。 阿彌陀堂跡ハ、虚空蔵堂の辰巳(南東)、田の中叢の中にあり。 今石佛たてり。 観音堂跡ハ、虚空蔵堂の南のはやしの中にあり。 鐘楼の跡は定かならすといへとも、 虚空蔵堂の(ごん)(北東)にかねつき(でん)といふ田あり。 是其跡ならんか。

○湯屋池 虚空蔵堂の(たつみ)(東南)一町斗(約110m)にあり。(亘り6間) 中嶋に有りし石佛埋もれしにや。今ハなし。石佛ならす大行事の石神也。 ゆへに池邊を大行事といふ。 今村中にある大行事ハ此所より灌頂せり。

○十二坊ハ名のミ残れり。

○虚空蔵堂の前に在し數株の櫻、今枯てただ一株のミ残りぬ。 鐘のこえに表せし石段ハ、108段存せり。 日數か原にハ松木茂りて雑木も又多し。

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