清浄山 明円寺 [明圓寺] 浄土真宗本願寺派 MYOUENJI TEMPLE 真向御真影大分八幡宮 伊藤氏参拝済
歴史
境内の案内板の内容を下に記す。(段落・注釈は作者が挿入した。)
明円寺略歴
この寺は、清浄山明円寺と称し、 浄土真宗本願寺派の末寺である。
天台宗妙見山長楽寺(法華滅罪寺)[1]59代座主良融 比叡山に学ぶ時、 本願寺蓮如上人の教化にあい直に念仏門に帰依し、 明円坊玄誓と法名を賜り明円寺を開基す。 (室町時代文正元年1466)
文明8年1476 蓮如上人より等身の親鸞聖人真向の御身影[2](真正面を向かれた御影)を授けられる。 第2代明尊坊順誓もまた蓮如上人の教化を蒙る。(中略) 教線は、内住川、穂波川流域におよび太郎丸に進出して教伝寺を興す。
現在の本堂は、15代等雲 嘉永6年1853に再建す。 その用材は、黒田藩の山、三郡山の欅が多く使用され、 楠材はすべて一本の木で切畑部落を覆っていたという。
昭和53年11月10日1975 20代住職記す
参考:『筑前國続風土記拾遺』
ひとくちメモ
門前の道は、おそらく大分八幡宮の参道ではなかろうか? 昔ながらの狭い道である。道に沿って用水路に清水が流れている。 境内には、鐘楼堂・本堂がある。
作者は日曜日の午前中に初めて参拝した。 本堂に向って右手は門徒会館となっているようで、学生風の若い男女が多数集まっていた。 何かの会が開催されているようであった。 お寺に若い方々が集まってどんどん盛り上げてくれることは喜ばしいことである。
伊藤氏メモ歴史を感じる本堂に、他では見られないタイプの本堂扁額。本堂左脇の大きな表札石もシャレています。()
写真
『筑前國続風土記拾遺』巻之27 穂波郡 上 大分村の項
明圓寺
本村にあり。真宗西本願寺末也。 開基の僧を明圓といふ。故に寺号を取れり。 天正1573-1593の頃の僧なり。