heritage 浄雲山 阿弥陀寺(あみだじ) 真言宗醍醐派 ☆☆☆ 伊藤氏参拝済

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〒820-006 福岡県飯塚市川津467番地1   標高:18.9m 地図 GMAP 0948-22-9168 
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歴史

伊藤氏メモ昔は当地から数百メートルほど北東の水祖神社(当地の西側にある同名の水祖神社の姉妹神社)の所にあったが、戦国時代、大友勢の兵火から逃れるため現在地へ移転。 黒田長政が筑前の国主としてお国入りの道中太養院に宿泊した際、 突然夜中に激しい腹痛を起こしたが、臣下が川津村の阿弥陀如来に祈願すると、瞬時に回復したという。 長政はお礼の参拝に訪れ、その際に駕籠を置いた場所には黒田長政公駕籠置場の石碑が建っている。 その後、当寺はいったん途絶えた時期があり、現在は明治期以降の中興第5世。 なお、それまでは浄土宗本誓寺の末寺としてあったが、終戦後、真言宗醍醐派阿弥陀寺となった。 なお、前もって申込みをすれば、除夜の鐘を突かせていただけるとのことでした。 ()

駕籠置場に設置されている案内板によれば、この阿弥陀如来像は長政の命により福岡城に引き上げられ、 同時に彼が常に念じていた聖徳太子御真筆の六字名号の軸を阿弥陀寺に安置したという。 この六字名号は長政の命により17年目に中開帳、33年目に本開帳されるという。 次回の開帳は平成34年(2022)という。

ひとくちメモ

本堂は近年改築されたようで真新しいものである。 境内には大師堂・多数の石仏が安置されている。 その中でも達磨像はひときわ目立つ。

長政の駕籠を置いた場所は、本堂正面の細い路地を20mほど進んだ所にある。 そこには、案内板と「元和元年(1615) 筑前國主黒田長政公禮拝駕籠置場」と記された石碑が残るのみである。

門前を東西に走る国道202号線は現代でも筑豊地区と福岡市を結ぶ交通の動脈である。 江戸期も豊前国から、烏尾峠(からすおとうげ)の国境を越えこの飯塚、 さらに八木山峠を越えて糟屋郡に至る道はある程度整備されていたようである。 黒田如水・長政父子も筑前名島城への入府にはこのルートを通ったようである。

イベント情報(今日から1年間)

○主催者などに事前に確認の上、参加下さい○

日時内容備考状態
2023-12-31()〜2024-01-01(月)除夜の鐘前もって申込が必要確定

写真

  • 本堂の扁額
    本堂の扁額 
  • 大師堂
    大師堂 
  • 境内の石仏群
    境内の石仏群 
  • 境内の石仏群
    境内の石仏群 
  • 達磨像
    達磨像 
  • 全景
    全景 
  • 鐘楼と仁王像(阿形)
    鐘楼と仁王像(阿形) 
  • 仁王像(吽形)
    仁王像(吽形) 
  • 外門
    外門 

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