仏旗 海雲山 善福寺(ぜんぷくじ) 浄土宗  ZENPUKUJI TEMPLE 筑前国中三十三観音霊場第16番札所 宗像四国西部霊場第23番 津屋崎千軒 伊藤氏参拝済

  • 本堂
    本堂 
  • 山門脇の巨大な地蔵
    山門脇の巨大な地蔵 
  • 本堂の扁額
    本堂の扁額 
住所・電話
〒811-3304 福岡県福津市津屋崎3丁目1506 標高:4.2m MAP GMAP 0940-43-8113(福津市総合政策部 広報秘書課) 
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歴史

伊藤氏メモ堂内の手書きの縁起書によると本尊の馬頭観音像(丈一尺六寸351cmの坐像)は弘法大師の作。往古の善福寺は宮地嶽西麓の大力谷にあったが、いつの頃か津屋崎出口に移ったという。

天和3年1683に在自村の無量寿院元海という人が善福寺について書き遺している。その縁起書によると、天暦年間947-957の火災で観音堂が炎上したときに、お堂の仏像が飛び出して一町ほど東の栴檀の木にとまり、近くの漁夫に「この地は穢れているから、穢土を焼き払って清浄した。この木の下の黄金を掘り出して此処に寺を建立せよ。」とお告げされたという。里人達はそれに霊威を感じて寺を建立し、檀徒28戸の墓所にした。これが現在地の善福寺であるという。

開山は大宰府横岳崇福寺の大応国師。大応国師が大宰府の崇福寺に滞在したのは文永9年1272から、嘉元2年1304の30年余であり、縁起書に記された天暦年間とは300年ほど時期がずれている。善福寺の開創は寺として明確になった13世紀末頃と考えるのが妥当ではないか。

現在ご朱印を預かり、連絡先を務めるお宅も所縁の方で、寺の2、3軒手前に住んでおられる。 (『筑前の寺めぐり』より())

境内の案内板の内容をそのまま記載する。

善福寺観音堂縁起

津屋崎の倉屋敷に垣の内という所がある。

今から約350年ばかり前元和9年1623、京都に於いて黒田長政公が死去され、 その柩を船に乗せ博多に帰られる途中、風波が強く此の地に柩を揚げて四方に垣を結いて守護し、 翌日陸路で博多崇福寺へ送った。

そこでここを垣の内と言い、その後観音堂を建て、長政公の霊を弔った。 興雲院殿[1]の位牌が安置されている。

1979年4月記

黒田長政の棺の搬送ルートについては瑞龍山 興雲寺も参照のこと。参考資料はこちら。

ひとくちメモ

周辺は津屋崎の古い街並みがみられる。 山門前脇には巨大な地蔵像が鎮座しているのが印象的である。 本堂脇には大株の藤棚があり、季節になるとみごとなものであるという。 本堂の裏側は六角堂になっている。

善福寺は無住で、問い合わせなどは上の福津市の担当の電話番号にしてください。

伊藤氏メモ現在無住ですが、本寺を管理している教安寺の先代ご住職が、当寺へ案内の上、説明までしてくださいました。 ありがとうございました。()

写真

  • 山門
    山門 
  • 大師堂 - 本堂裏手
    大師堂 - 本堂裏手 
  • 本堂脇の藤棚の奥にある石仏群
    本堂脇の藤棚の奥にある石仏群 
  • 参道入口
    参道入口 
  • 山門脇の巨大な地蔵が安置されている地蔵堂
    山門脇の巨大な地蔵が安置されている地蔵堂 


参考資料

筑前國續風土記付録』巻之32 宗像郡 上 津屋崎村の項に 「善福寺禅宗 佛堂2間4面 海雲山と號す。神湊(こうのみなと)隣船寺に属す。開基の年代傳ふる事なし。」 という記載が見られる。隣船寺の宗旨は臨済宗大徳寺派であるので、善福寺の宗旨も同じものであったのであろう。

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