仏旗 施無畏山 長谷寺(ちょうこくじ) [長谷禅寺] 曹洞宗  TYOUKOKUJI ZEN TEMPLE 筑前国中三十三観音霊場第17番札所 身代わり観音伊藤氏参拝済

  • 本堂
    本堂 
  • 山門
    山門 
  • 山門からの手光の里の風景
    山門からの手光の里の風景 
住所・電話
〒811-3224 福岡県福津市手光1955 標高:30.2m MAP GMAP 094-042-1203
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本尊
十一面観世音菩薩(天正2年1575)
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長谷寺
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歴史

伊藤氏メモ寺伝によると、この寺は大和の古刹長谷寺(はせでら)を移してきた、十一面観世音菩薩を本尊とする真言宗の寺院であった。 山号は現在と同じ施無畏山。寺域も広く境内に春日神社があり、古名は春日村といった。戦国時代に豊後大友勢の放火で堂宇、什物、古文書類全て焼失した。

永禄元年1558、早良郡西町(現:福岡市中央区今川)金龍寺の6世住職月舟和尚が長谷寺を再建、本堂の本尊に釈迦如来像を安置して寺を再興、曹洞宗金龍山の末寺とした。

さまざまな難を逃れてきた元本尊の十一面観音様は、天正2年1575、本堂横の観音堂に移った。 この仏様が筑前国中三十三観音霊場17番札所の本尊である。

現在の観音堂は、慶長8年1603の建立。黒田藩家老黒田三左衛門養心(黒田美作一成)の寄進、棟札に奉・黒田養心の名があるという。 この三左衛門は、黒田家初祖官兵衛孝高公の養子で長政公と兄弟同様に育てられた三奈木黒田家の初祖である。長政公の信頼厚く、その片腕として初期の藩政を支えた人物である。 (『筑前の寺めぐり 』より)()

福岡金龍寺の住職が兼務されておられる。(記。)

参考:身代わり観音の由来『筑前国続風土記』『筑前国続風土記拾遺』

ひとくちメモ

福津市にお住まいのN.Yさんからご自宅近くに気になるお寺があると言われていつかお参りしようと思っていた。 このたび念願かなってお参りすることができた。(2011-08-04)

長谷寺は手光(てびか)の里の丘の中腹に伽藍を構えている。 周囲はのどかな田園地帯である。

境内には秘仏の十一面観音が祀られている観音堂などがあり、建物も綺麗に整備されている。 山門から眺める手光の里の風景は絶景である。本堂に向かって左手に長い石段があり、その上に鳥居が かすかに見えた。自宅に戻って調べると春日宮と呼ばれる神社であることがわかった。 石段を登ってお参りしたいのはやまやまであったが、蛇ぎらいの作者はその勇気がなかった。 次回蛇のいない秋冬にお参りしたいと思う。

伊藤氏メモ山門まで40段の石段を登っていく。寺院帳には以下の由来が記されている。 「永禄元年1558春創立。当国早良郡西町金龍寺月舟和尚開山。 当寺再三焼失。明細ハ不詳。境内仏堂二宇。観音堂薬師堂由緒不詳。阿弥陀堂由緒不詳字湯ノ浦ヨリ移転ス。」()

写真

  • 本堂
    本堂 
  • 本堂の扁額
    本堂の扁額 
  • 観音堂
    観音堂 
  • 境内風景 - 右手が本堂
    境内風景 - 右手が本堂 
  • 本堂正面の龍の彫刻
    本堂正面の龍の彫刻 
  • 参道 - 中央が山門
    参道 - 中央が山門 
  • 本堂に向かって右手の春日宮へ通じる石段
    本堂に向かって右手の春日宮へ通じる石段 
  • 遠景
    遠景 


身代わり観音の由来(境内の案内板より)

今から650年前、百姓の五郎作夫婦は子宝に恵まれず観音様に熱心にお参りしました。 そのかいがあって二人には可愛い女の児が授かりました。 しかし五郎作は病で急死しました。

ある日娘が家で一人で針仕事をしていると、どこからか一羽の鷹が飛び込んで来ました。 驚いた娘は棒切れで夢中でたたきました。 その時、家にはいってきた侍に殿様の大事な鷹を殺したと云うことで斬りつけられ 大変深傷をおいました。 母親は帰って来てその傷を見てとても悲しみ、娘の命が助かるようにと 観音様に「南無大慈悲観世音」と唱えて、毎日一所懸命祈りました。 今にも死にそうだった娘はすっかり元気になりました。

母親と二人でお礼のお参りに行くと、これはどうしたことか今まで傷一つなかった 観音様の肩口に大きな傷がついていました。 此以来長谷寺十一面観世音菩薩は身代り観音様と呼ばれるようになりました。 観音様の傷も消えたということです。

身代り観音様は、秘仏で三十三年一回行われる御開扉(本開扉)の日だけしか拝観 することができません。

施無畏山 長谷寺

『筑前国続風土記』巻之17 宗像郡下 手光村の項

○手光村長谷寺山號施無畏山

長谷寺に観音あり。大和の長谷の観音を勧請せしにや。 昔は真言宗成しが、近年は禪衆となる。 手光は谷中に在て好村也。

『筑前國続風土記拾遺』巻之37 宗像郡 中 手光村の項

長谷寺

施無畏山と号す。 禪宗洞家福岡金龍寺の末寺成。 村内の大門と云所に在。本編に出たり。 寺傳に昔ハ真言宗にして大和國長谷寺を移して佛師春日か作十一面観世音を本尊とせり。 長3尺5寸秘仏也と云。 境内に春日明神社有。 古へ大社にして観音ハ此社の本地也。 故に村名をも春日村と云り。 鎮座の年暦不詳。 寺塔も廣大なりしか、豊後勢乱入せし時、 放火にあひて観音像のみ残りて有しを、 福岡金龍寺んぼ6世月舟仏堂を再興して釈迦を安置し、 昔の本尊観音ハ別に堂を建て安置せり。 慶長8年1603照福院[1]君観音堂を造立し給へり。 黒田養心の奉なりし由の棟札今もあり。 因に云フ。 當寺のミならす、 國内所々の古仏に春日明神の御作といふもの多し。 諸國にも是ある由。 春日ハ仏師の名なるを賣僧等其像を霊異にせんとて明神を汚す亊あり、 信ずべからす。 新編鎌倉志に、 此亊を辨して云。 按スルニ春日ト云ハ仏師の名ナリ。 仏像ノミナラズ、楽ノ假面ニモ春日カ作数多アリ。 旧記ニ稽文會稽文勳河内國春部ノ邑ノ人、 兄弟共ニ佛師也とアリ。 是ヲ春日カ作と云ナリ。 浮屠附會ノ説ニ春日大明神ノ作ト云テ世人ヲ迷ハセリ。 不可信ト云り。

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