宝林山
西法寺
浄土真宗本願寺派
★☆☆
ヤツブサウメ
唐津街道畦町宿
- 住所・電話
- 〒811-3203 福岡県福津市本木1664 標高:69.3m 地図 GMAP 0940-42-0364
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歴史
本堂の裏手に阿弥陀堂がある。 御堂の壁に掲示された案内板に寺の創建の記事も記されている。案内板の内容を下に記す。
阿弥陀堂
昔本木村に宝林と云う山があり、此処に無住の御堂があったが、 その以前より現在の西法寺裏山の上段に小さな阿弥陀堂があり、3体の御仏が安置してあった。
此処は本木村の中心であったことから、格ある寺を建立すべきだと第1世順智と云う人が発起となり、 次の第2世梅暦が非常に力を入れ、万治3年(1660)ついに寺院を建立した。
爾来継続、現在350有余年になれば阿弥陀堂の3体の御仏は幾星霜風雨にさらされ原型さえも判明仕難く、■■阿弥陀堂も雨漏り激しく主柱の腐敗により(ママ)、よって此処に再建するに至る。
平成8年8月8日 12世 西法寺住職 釈尚教 識
朝日新聞(福岡版 2015-7-16)によれば、筑前竹槍一揆でこの本木村からも約100人が参加。 一揆は約2週間で鎮圧された。本木村組頭であった井上勝次は政府役人殺害の罪に問われ処刑されたという。 寺の裏手の墓地の最上段奥には井上の墓碑がある。 毎年、井上の命日、7月14日にはこの寺で法要(「睡蓮忌」)が催される。
ひとくちメモ
西法寺の門前には川が流れている。その川はその先西郷川となって玄界灘に注ぐ。 裏手は小高い山となっている。 山門は鐘楼を兼ねており二階建てである。周囲の緑とよくマッチしている。 本堂前面のガラス戸も歴史を感じさせるものとなっている。
本堂に向かって左側には「珍木 座論梅」と題された梅の木がある。 調べてみると「ヤツブサウメ」という種類の梅で花が一ヶ所に重なって咲く珍しい梅の木のようである。
地名の「本木」は「もとぎ」と読む。 ちなみに、西法寺の北西方向約1kmほどの所に唐津街道畦町宿がある。 未だ古い町並が残っている宿場町である。 ここ、旧本木村と畦町宿との関係は畦町宿のページを参照ください。
写真
本堂 本堂 本堂の扁額 本堂 鐘楼門 - 境内より撮影 鐘楼門 - 境内より撮影 境内にある瓦 「珍木 座論梅」と題された梅の木 本堂内に貼ってある言葉(身にしみます) 本堂 - 井上勝次の墓碑前より撮影 門前の風景(右手が西法寺) 井上勝次の墓碑近くのグラジオラス グラジオラス(拡大)
阿弥陀堂
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阿弥陀堂は本堂裏手の墓地の最上段の奥にある(井上勝次の墓碑の先)。 御堂内には中央に阿弥陀如来、向かって右手に弥勒菩薩、左手にガラスケースがある。 ガラスケース内にはかなり傷んだ3体の古仏が納められており、「今より350年前の満治(ママ)3年(1660)江戸中期の頃、阿弥陀堂に安置されていた3体の御仏と推定される」とかかれた木札が添えられている。
阿弥陀堂の斜め前には展望台のような床があり、古いベンチとテーブルが複数ある。 かなりおしゃれな造形である。全体的に老朽化しており現在は使われていないと思われる。 昔はここで門徒さん達が歓談していたのであろう。
第2回睡蓮忌 - 故井上勝次追悼
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睡蓮忌に初参加。その時の写真です。
『筑前國続風土記拾遺』巻之38 宗像郡 下 本木村(本編に見えたり。)の項
西法寺
堂下に在。一向宗西派福岡 光専寺の下也。
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