heritage 津屋崎延命堂(つやざきえんめいどう) 仏教礼拝所 ☆☆☆ 波折神社 宗像四国西部霊場第80番

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〒811-3304 福岡県福津市津屋崎4丁目38-17   標高:4.1m 地図 GMAP
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歴史

御堂内に地蔵菩薩の縁起と思われるものが書かれた文書が額に入れられて掲示されている。 作成日付は無いが、ワープロで印刷された紙が劣化していないので近年架けられたものと思われる。 その中の文字を拾って見る。

①「寺13世栴蓮社檀誉上人義弁香阿代」
②「大工福岡村宅治小工博多 鍛冶町中小町 原九三郎」
③「明和6年(1769)6月、上本町80番札所延 地蔵菩薩造立される」
④「地蔵菩薩像 木造総高67.0」
⑤「奉雕刻 干時明和6巳晩夏吉祥日 福岡名島の住 大仏師 佐田寿四郎頼徳慶始」

以上の事より、明和6年(1769)6月に福岡名島の佐田寿四郎仏師により造立(③⑤より)。 木造総高67.0cm(単位は作者が実物の寸法を見てcmと判断)(④より)。 当延命堂建築の大工は福岡村の原九三郎。地蔵菩薩造立と同時期か?(②より)。 当文書の作者が栴蓮社檀誉上人(①より)。と考える。

「栴蓮社檀誉上人」という僧侶の名は浄土宗特有のもの。この近くの(4km圏内)のお寺は、教安寺大善寺の2ケ寺。このいずれかのお寺の住職のことと思われる。

御堂前には「宗像四国西部霊場 本尊 十一面観世音菩薩 津屋崎 第80番」の霊場札が掲げられている。

ひとくちメモ

祭壇上には左から、弘法大師と思われる石像が2体、地蔵菩薩像(半跏)、僧形の木仏、以上4体が安置されている。 地蔵菩薩・僧形の仏像は見応え満点。

さて、霊場本尊の十一面観音像はというと、見当たらない。 祭壇の最右翼に安置されている僧形の仏像がそれにあたるとも考えたが、 着衣が分厚過ぎる、頭部の髪が中央から分けられ、この上に十一面の化仏が乗っていたとは考えにくい。

御堂前の通りには古い町並みが残っている。ここも「津屋崎千軒」の一角なのだろう。 御堂の裏手には波折神社が鎮座している。

写真

  • 延命堂内
    延命堂内 
  • 僧形の木像 - 祭壇上
    僧形の木像 - 祭壇上 
  • 僧形の木像(上半身拡大)
    僧形の木像(上半身拡大) 
  • 2体の弘法大師(と思われる) - 祭壇上
    2体の弘法大師(と思われる) - 祭壇上 
  • 霊場札
    霊場札 
  • 地蔵菩薩の縁起と思われるものが書かれた文書
    地蔵菩薩の縁起と思われるものが書かれた文書 
  • 改装札
    改装札 
  • 延命堂前の風景(向かって左手の自動販売機の後に延命堂)
    延命堂前の風景(向かって左手の自動販売機の後に延命堂) 
  • 延命堂 - 横から撮影
    延命堂 - 横から撮影 
  • 乙藤商店の表札(電話番号が2桁!)
    乙藤商店の表札(電話番号が2桁!) 
  • 乙藤商店
    乙藤商店 

波折神社

社殿
社殿 
再建前の鳥居の束額 - 社殿前
再建前の鳥居の束額 - 社殿前 
境内風景
境内風景 
汐井の砂(町内ごとにある。中央のものは慶應元年銘)
汐井の砂(町内ごとにある。中央のものは慶應元年銘) 
再建前の鳥居の部材(寛政9丁巳年(1797)正月吉祥日銘)
再建前の鳥居の部材(寛政9丁巳年(1797)正月吉祥日銘) 
全景(鳥居の後のブルーシートは土俵にかぶせてあるもの)
全景(鳥居の後のブルーシートは土俵にかぶせてあるもの) 

当社は、博多櫛田神社から勧請されたもの。毎年7月中旬に追い山が行われる。これは博多祇園山笠の作法に則って行われるという。詳しい縁起などは、波折神社 福岡県福津市津屋崎 : 空 sora そらをご覧ください。

社殿の前に再建前の鳥居の束額が安置され、境内の東端にその鳥居の部材と思われる柱が2本立っている(寛政9丁巳年(1797)正月吉祥日銘)。新しい一の鳥居が平成元年(1989)銘であることから、この時に再建されたものだろう。


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