薬水
史跡
☆☆☆
唐津街道
伊藤氏参拝済
歴史
『筑前國続風土記』巻之23 志摩郡 長垂山の項の下記の記事がある。
○長垂山
(前略)此山に金銀多し。 故に山間より出る水は藥となるとて、通路の傍に藥水と云少許なる出水あり。(後略)
『筑前国続風土記拾遺』巻之48 志摩郡 上 青木村 長垂山の項には下記の記事がある。
七寺川より以東小濱に至る迠の山の惣名なり。 大刀洗川(常には水なし。)薬水(井筒径1尺5寸)はその間の道筋にあり。往還の眺望誠に佳境なり。(以下略)
薬水の脇には「太閤水」と刻印された石碑がある。 福岡市の案内板によれば、これを「秀吉が朝鮮出兵の時に、肥前の名護屋城に赴く途中、ここの湧き水を使ってたしなんだことから太閤水の名が付いた」旨のことが書いてある。 これは間違いで、本物の太閤水はここ。長垂山のちょうど反対側(南側)の山裾にある。
薬水前の道は唐津街道である。
参考:『太閤道伝説を歩く』
ひとくちメモ
すぐそばに長垂寺への参道(長い石段)の始まりがある。
千如寺大悲王院の喜多村住職(長垂寺の住職を兼務)からメールを頂戴し、井戸の底の皿に「薬王」の文字があることを確認した旨の連絡を頂戴した。感謝感謝である。詳しくはここをクリックしてください。
写真
薬水の井戸の内部
2016-03-30、千如寺大悲王院の喜多村住職が、 糸島市内の造園業者の協力のもと井戸の水を汲み出し、内部の撮影に成功! 井戸の底の素焼き製の皿に見事に「薬王」の文字が確認できる。
同住職は、大正時代の糸島新聞で井戸の中に「薬王」の文字がある事を知り、今回の撮影に至ったという。 詳しくは、下の糸島新聞(2016-03-30版)をご覧下さい。(どの写真もそうですが、クリックすると精度の良い写真をご覧いただけます。)
素焼きの皿(赤丸の場所に右から「薬王」 - 写真は千如寺大悲王院住職ご提供) 「薬」(拡大) - 写真は千如寺大悲王院住職ご提供 「王」(拡大) - 写真は千如寺大悲王院住職ご提供 糸島新聞 2016-04-14掲載分 - 写真は千如寺大悲王院住職ご提供
周辺のスポット(4km以内)
周辺の寺院・仏教施設・他のページは当ページの上部の検索の項の「4km以内」のボタンをご利用下さい。