焼けずの観音
[焼観音・網屋天神]
仏教礼拝所
☆☆☆
伊藤氏参拝済
福岡市新四国霊場第50番
粕屋郡三十三観音霊場第33番札所
- 住所・電話
- 〒812-0053 福岡県福岡市東区箱崎2丁目10-19 標高:4.1m 地図
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歴史
観音堂脇の御影石の石碑の内容をそのまま記す。
箱崎馬出の人々には焼観音と云へばその記憶新ならものありし古くより箱崎網屋本町に霊験あらたかなる 観音として御祈願に占いによく御参詣になった事と思います。
寛永3年(1626)の夏今を去る339年前網屋町に大火があって殆んどを焼失せんとしたが焼観音様の御陰で流石の大火も 不思議にとまり示来焼ずの観音として尊崇されていましたが、いつの間にか焼観音と略称され その後一層の信心を深めて先住丹部道栄師迠続いたのでありますが没後はお祭りする人はなく堂宇も 取りこわされ本尊の焼観音様は糟屋郡新宮町夜臼の小庵に移されていました。 それが不思議にも発起者の夢枕に立たれ是非箱崎に帰りたいとの事で庵主も心よく承知されたので 発起者並に世話人一同協議の末由緒ある有難い焼観音様を再び箱崎にお迎へ申し天神様の境内にお堂を再建し 御祭り申し上げる事になりました。 お観音様もゆかりの地に再びお帰りなりどんなにかお喜びの事かと信じ焼観音様も何かにつけて きっと皆様の願いをかなへて下さる事と思います。
昭和39年 2月吉日 発起人古田壽作他名(作者略) 世話人30名(作者略)
『筑前國続風土記拾遺』巻之39 表粕屋郡 上 箱崎村の項に下の記事がみられる。 上の案内板の記事と年代など相違がある。
焼観音
浦分に在。宝暦元年(辛未1751)12月平助とい云者、 観音の霊夢ありて豊前國企救郡矢山村廣野山炎上の址に行て、 焼残の佛像を持帰り、 初ハ倉本に居へたりしか、 後今の處に堂を建安置せり。 世の人聞傳へて、四方より来り詣するもの多かりしか、 後新に像を刻ミて其腹に舊像を籠たり。 此平助と云しハ、其元鞍手郡野生村の者也しと云ふ。
粕屋郡三十三観音霊場第33番札所(本尊:聖観音菩薩)となっている。 また、福岡市新四国霊場第50番(本尊:弘法大師)の可能性も非常に高い。福岡市新四国霊場札所一覧には「箱崎網屋本町3ノ組 天満宮境内」とあるため。
ひとくちメモ
観音堂は網屋天満宮の境内の一番奥にひっそりと建っている。 座った金色の聖観音様である。像高50cmほどか?
天満宮境内には、この観音堂の他、天満宮とその末社と思われるお堂群、 くじら塚、覆屋に守られた多数の石などが観られる。 境内の榎の大木もかなりの樹齢のもののようである。
江戸期にはこの付近に藩主が休憩する御茶屋があったようで、天満宮の脇に石碑が建てられている。 そのせいと思われるが、天満宮の北側の細い路地は「御茶屋小路」と昔は呼ばれていたようである。
写真
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