heritage 乳母地蔵(うばじぞう) 仏教礼拝所 ☆☆☆ 二宮神社

住所・電話
〒819-0167 福岡県福岡市西区今宿1丁目10-16   標高:5.4m 地図 GMAP
検索
同地区同宗派(83)  ( 4km以内 ) MAP  周辺のスポット(8)  Links(2)

歴史

この地は昔、「油屋(石橋家)」と呼ばれた豪商の屋敷があった場所。 この地蔵堂は当時油屋に奉公していた乳母が不幸な死を遂げ、その霊を弔うために建てられたと云われているが、その由来はよく判っていない。

今宿の町中の各ポイントに設置されている「筑前今宿歴史かるた」[1]の一つが御堂前に立っている。「お供物も 牛乳にする 乳母地蔵 筑前今宿歴史かるた 二十七番」とある。 実際に地蔵に牛乳を供える風習はなく、これはかるたの読み札を作った人が、乳母から牛乳を連想したものと思われる。(以上 Links① より)

御堂のすぐ東側には二宮神社が鎮座している。

御堂の南側は東西に唐津街道が通っている。宿場町であった今宿の入口にあたる。

ひとくちメモ

御堂内には向かって左手より、薬師如来・地蔵菩薩が祀られている。

御堂前には牛乳が供えられている。新たな風習が生まれつつあるのかもしれない。

御堂のすぐ北側は博多湾。広大な砂浜である。ここは市民の憩いの場となっている。 周辺では大正・昭和期の昔ながらの建物が散見できる。

当場所は福岡市西区在住の藤井氏より教えて頂いた。感謝感謝。

写真

  • 地蔵堂
    地蔵堂 
  • 祭壇(左手より薬師如来・地蔵菩薩)
    祭壇(左手より薬師如来・地蔵菩薩) 
  • 地蔵堂の基礎部分(かなり歴史を感じさせる)
    地蔵堂の基礎部分(かなり歴史を感じさせる) 
  • お供え物の牛乳(ホコリをかぶっていました)
    お供え物の牛乳(ホコリをかぶっていました) 
  • 北側の博多湾(前方に長垂山が見える)
    北側の博多湾(前方に長垂山が見える) 
  • 北側の博多湾(左手:能古島、中央;志賀島)
    北側の博多湾(左手:能古島、中央;志賀島) 
  • 北側の博多湾(左手:今山、中央:毘沙門山)
    北側の博多湾(左手:今山、中央:毘沙門山) 
  • 北側の博多湾(百道方面)
    北側の博多湾(百道方面) 

二宮神社

社殿(外装工事中)
社殿(外装工事中) 
神殿
神殿 
一の鳥居(荒削りの仕上げ)
一の鳥居(荒削りの仕上げ) 
巨大な常夜灯(昭和50年(1975)銘)
巨大な常夜灯(昭和50年(1975)銘) 
手水舎(手水鉢は巨大)
手水舎(手水鉢は巨大) 
大きな藤棚 - 社殿前
大きな藤棚 - 社殿前 
社殿内の「玉せせり」に用いられる玉 - すりガラス越しの撮影
社殿内の「玉せせり」に用いられる玉 - すりガラス越しの撮影 
亀井少琹作「於多図」 - 案内板より引用
亀井少琹作「於多図」 - 案内板より引用 
庚申塔 - 藤棚下
庚申塔 - 藤棚下 

境内の案内板の内容をそのまま記す。

この神社は、今から270年前、 今宿五朗江(ごろうえ)(現・今宿小学校)にあったものを現在地に移転したといわれており、 主祀神は埴安神(はにやすしん)で、稲の生産豊穣と疫病厄除、また、福徳開運の神社として地元の人に親しまれています。

正月3日の子ども達による玉せせりや、7月29日夕刻より催される夏越祭(なつこしまつり)は、大勢の人で にぎわい、今宿の風物詩となっています。

神社鳥居前の通りは、旧唐津街道で、江戸時代には宿場町として栄えました。

神社横は、書、絵画に秀でた才能を発揮した、亀井少琹(かめいしょうきん)(1798-1857)が 住んだ地で、少琹の漢詩など筑前亀井学派の資料は能古資料館に数多く展示されています。(平成13年3月 福岡市)

社殿裏手の海岸沿いに昭和50年(1975)銘の巨大な常夜灯が立っている。

周辺のスポット(4km以内)

周辺の寺院・仏教施設・他のページは当ページの上部の検索の項の「4km以内」のボタンをご利用下さい。

脚注