仏旗 青樹山 長垂寺(ちょうすいじ) 真言宗大覚寺派★★★  TYOUSUIJI TEMPLE 石城三十三箇所観音霊場第26番 博多湾の眺望ハードコース伊藤氏参拝済

  • 本堂への急峻な石段
    本堂への急峻な石段 
  • 本堂内の荘厳
    本堂内の荘厳 
  • 本尊兜跋毘沙門天
    本尊兜跋毘沙門天 
  • 毘沙門踏切からの眺望-前方は糸島半島
    毘沙門踏切からの眺望-前方は糸島半島 
住所・電話
〒819-0162 福岡県福岡市西区今宿青木1109-5 標高:56.4m MAP GMAP 092-323-3547(千如寺の電話番号) 
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本尊
兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)
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紫陽花の長垂寺
長垂寺 - 長垂山 (福岡市西区) [山行記録] - ヤマレコ

歴史

長垂寺の歴史も明治の神仏分離令が大きくその運命を左右している。 以下の長垂寺の歴史は千如寺大悲王院の住職から送って頂いた『長垂寺史』 (六大新報社)の記事に詳しく紹介されている。 以下それの要約である。 (日本史・仏教史に疎い作者のため誤りなどご指摘いただければ幸いです。)

寛永19年1642黒田藩3代藩主光之が自分の誕生地である福岡市西区の橋本の橋本八幡宮を再興。 同時に神宮寺として西光寺[1]を建立。 寛文6年1666橋本八幡宮が早良区西新に移転。同時に西光寺も移転。

明治維新の神仏分離令により、西光寺は廃寺となる。 当時住職であった藤井照幢は一旦還俗。 明治3年1871藤井照幢は再興の思い強く再度得度。 その後、西光寺に入寺していた大西明道とともに再興に尽力。 明治17年188412月25日、元の寺号「西光寺」での再興がかなわず、 博多東長寺末の 閑松院[2]を移転することで再興。 本尊兜跋毘沙門天(慶応2年1866、福岡市の仏師佐田法喬が謹刻)を勧請。 再興後の住職は大西明道が就任。

大正2年1913紅葉八幡宮が高取に移転。閑松院はそのままの場所に残る。 大正13年1924大西明道に代わり住職となった真木宥聲は西新の地での存続を断念。 大正15年19265月当時県会議員であった青木真五郎の所有地であった長垂山の地を整地した所(現在の地)に移転。 同時に寺号も「長垂寺」と変えた。 その後、その地は青木氏によって寄進された。 青木氏は同地に「青木公園」[3]を開園。桜の木を100本植樹。往時は多くの人々が訪れたという。 その後公園計画が挫折し参詣者も減る。 現在はわずかな信者と住職の尽力で護られている。

尚、脇仏の善膩師童子(ぜんにしどうじ)吉祥天[3]は江戸期までは千如寺大悲王院近くの前原市長野(現川付)の宇美八幡宮神宮寺瑞雲院(神仏分離令により廃寺)に祀られていたものという。

ひとくちメモ

石段の上り口のところはJR筑肥線の毘沙門踏切より50mほど奥まった所である。上り口のすぐ脇に 薬水がある。 毘沙門踏切脇には運気延命地蔵尊が鎮座している。

本堂まではかなり長い急な石段が続く。初夏にはアジサイが綺麗だと云う。作者はヘビ嫌いの為初夏にはお参りすることをためらっている。 参道口のJR筑肥線の踏切(毘沙門踏切)からの博多湾の眺めはなかなかのものである。 普段は無住の寺院であり、人気も少ない場所であるので単独行は避けた方が良い。 糸島市千如寺大悲王院の住職が兼務している。

伊藤氏メモ本堂右手に廻った脇の入り口から本堂に上がって、ご本尊をより近くでお参りできます。 が、気をつけてください。畳下の床材が古くなっているようで、畳が沈んで床を突き破ってしまうのではと、 びくっとする箇所が一部ありです。本堂内は気をつけて歩く要です。()

に長垂寺兼務千如寺大悲王院の住職から連絡をいただき、上の伊藤氏メモで報告のあった痛んでいた本堂内の床の修理が完了したとのこと。

写真

  • 本堂
    本堂 
  • 本堂の扁額
    本堂の扁額 
  • 本堂
    本堂 
  • 石段下より本堂を望む
    石段下より本堂を望む 
  • 本堂
    本堂 
  • 本堂内(大悲王院撮影)。床が張替えられてる
    本堂内(大悲王院撮影)。床が張替えられてる 
  • 鰐口と石段-本堂を背にして撮影
    鰐口と石段-本堂を背にして撮影 
  • 十三仏
    十三仏 
  • 弘法大師像
    弘法大師像 
  • 観音菩薩像
    観音菩薩像 
  • 真五郎桜の案内板
    真五郎桜の案内板 
  • 水盤
    水盤 
  • 石段の上り口
    石段の上り口 
  • 本堂への急峻な石段 - 中央に大岩
    本堂への急峻な石段 - 中央に大岩 
  • 本堂への急峻な石段
    本堂への急峻な石段 
  • 本堂への急峻な石段
    本堂への急峻な石段 
  • 石段-両サイドにはアジサイの木多数
    石段-両サイドにはアジサイの木多数 
  • 本堂への石段より博多湾を望む
    本堂への石段より博多湾を望む 
  • 毘沙門踏切
    毘沙門踏切 
  • 毘沙門踏切からの眺望-前方は能古島
    毘沙門踏切からの眺望-前方は能古島 

「北九州鉄道沿線名所遊覧図絵」(吉田初三郎 画、昭和2年)の拡大写真

全図はこちら

  • 北九州鉄道沿線名所遊覧図絵の部分拡大(青木氏が開いた「青木公園」(「青木山遊園地」)が描かれている。また、長垂寺・薬水(太閤水)も描かれている) - 千如寺大悲王院住職ご提供
    北九州鉄道沿線名所遊覧図絵の部分拡大(青木氏が開いた「青木公園」(「青木山遊園地」)が描かれている。また、長垂寺・薬水(太閤水)も描かれている) - 千如寺大悲王院住職ご提供 

『筑前國続風土記』巻之20 早良郡 上

紅葉八幡宮図(右端に西光寺が描かれている) - 『筑前國続風土記附録』挿絵
紅葉八幡宮図(右端に西光寺が描かれている) - 『筑前國続風土記附録』挿絵 

紅葉八幡宮の項に、西光寺が同社の神宮寺であった旨の記述がみられる。 右の『筑前國続風土記附録』挿絵の右端には、紅葉八幡宮と共に西光寺が描かれている。

紅葉八幡宮

(前略)宮司の寺を妙雲山松壽院西光寺といふ。 真言宗也。 是は忠之君、慶安3年1650、橋本の社邉に立給ひしを、寛文6年1666に此地に移さる。



関連寺院(※過去に関連していた寺院も含みます。必ずしも現在関連している寺院とは限りません。)