仏旗 南岳山(なんがくざん) 東長寺(とうちょうじ) [東長密寺] 真言宗九州教団★★  TOUTYOUJI TEMPLE 九州八十八ヶ所百八霊場第1番札所 九州二十四地蔵尊霊場第22番札所 九州三十六不動霊場第36番札所 除夜の鐘を撞ける 博多寺町コース第30番 博多七観音第7番 五重塔黒田家代々の墓所 六角堂ご開帳千手観音ご開帳節分大祭仙厓 伊藤氏参拝済

住所・電話
〒812-0037 福岡県福岡市博多区御供所町2-4 標高:9.3m MAP GMAP 092-291-4459
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本尊
十一面千手観音立像
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東長寺 | 萬盛堂歳時記vol.50
東長寺六角堂 - 福岡市の文化財
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歴史

境内の案内板の内容をそのまま記す。

大同元年806唐から帰国した弘法大師の創建と言われ、寺宝の木造 千手観音立像は国指定の重要文化財である。境内には仙厓和尚(せんがいおしょう) や当時の有名人の白筆書画が残る六角堂の建物、 2代藩主黒田忠之(ただゆき)、3代藩主光之(みつゆき)の墓がある。

伊藤氏メモ福岡寺院探訪』に次のような記載がある。 ()

当寺は、大同元年806、弘法大師が唐より帰国後の博多滞在中(翌2年まで)に建立したのが始まりといわれ、密教が東に長く伝わるのを祈願し、「東長寺」と号したという。初め海辺にあったが、その後兵火などによる焼亡が幾度かあった。江戸時代に黒田2代藩主忠之が真言に帰依し大檀越となり、堂宇を建立した。

伊藤氏メモ博多歴史散歩―二千年のあゆみ (歴史散歩シリーズ) 』に次のような記載がある。 ()

東長寺の所蔵品で弘法大師の真筆といわれる「一切経千字文」については、 面白い逸話がある。 この「千字文」は博多の豪商島井宗室が寄贈したものらしいが、宗室がこれを入手した経緯が尋常ではない。 時は天正10年15826月2日、前夜から織田信長に招かれて本能寺に逗留していた島井宗室は、夜明け方、突然の喚声と矢弦の音に叩き起こされ、明智光秀の反逆を知ると、燃え落ちる本能寺から命からがら逃げ出した。 その際、宗室は、寺の書院に弘法大師の真筆があったことを思い出し、たとえ信長は死んでも文化財の焼失は許されぬとばかりにそれを持ち出した。やがて博多へ帰ったのちに、その「千字文」を東長寺へ寄贈したというのである。

俗説では、このとき本能寺に逗留したのは宗室ひとりではなく、同じ博多の豪商神屋宗湛も一緒であったことになっている。          

参考:黒田家の墓所前の案内板六角堂と地蔵堂(伊藤氏メモ)

『筑前名所図会』

東長寺が見事に描かれている。寺前の通り(現在の大博(たいはく)通り)は当時もかなり広かったようである。 黒田家の墓所が現在は向かって左手にあり、絵が描かれた時代にはすでに存在していたはずであるが描かれていない。 藩主の墓所ということで記載するのをはばかったのであろう。

龍宮寺も現在ある場所と思われる位置に描かれている。 天福寺は福岡市南区にその後移転したが、それも描かれている。

ひとくちメモ

千手(せんじゅ)観音像(国宝)、六角堂(福岡市文化財)、福岡大仏などがある。 大仏殿にある福岡大仏(拝観無料)はその胎内の散策ができる。 中は漆黒の闇。人生観が変わるかもしれません。

福岡大仏は、高さ10.8m、重量30tの檜造座像。木造座像では日本一の大きさ。(平成4年に完成) 大仏殿の中には、大仏制作途中の写真などが展示されている。 なお、高さは人間の煩悩の数108にちなんでいるという。

本堂向かって左手に純木造五重塔(国産総桧造)がある。高さ25.9m。平成22年春に完成した。

春には、山門をくぐってすぐにある二株の桜の花が見事である。

寺事務所前には休憩用の大きな縁台が5-6台置いてある。実にウェルカムスタンスである。 博多の町歩きに疲れたときには休憩用にどうぞ。 その際はご本尊様にお参りする事もお忘れなく。


写真

  • 境内風景-桜
    境内風景-桜 
  • 全景
    全景 
  • 寺前の歩道
    寺前の歩道 
  • 大師堂
    大師堂 
  • 大師堂の扁額
    大師堂の扁額 
  • 節分のときの山門
    節分のときの山門 
  • 山門の扁額
    山門の扁額 
  • 本堂(不動明王--弘法大師作と案内にある)
    本堂(不動明王--弘法大師作と案内にある) 
  • 本堂(弘法大師--自作と案内にある)
    本堂(弘法大師--自作と案内にある) 
  • 境内風景 - 向かって右手に福岡大仏の建物
    境内風景 - 向かって右手に福岡大仏の建物 
  • 六角堂の説明板
    六角堂の説明板 
  • 六角堂
    六角堂 
  • 六角堂内部 - 弘法大師像
    六角堂内部 - 弘法大師像 
  • 六角堂内部 - 文殊菩薩像
    六角堂内部 - 文殊菩薩像 
  • 六角堂内部
    六角堂内部 
  • 鐘楼
    鐘楼 
  • 二代黒田藩主忠之の墓 - 中央が忠之の墓でその両側には殉死した家臣の墓が並んでいる
    二代黒田藩主忠之の墓 - 中央が忠之の墓でその両側には殉死した家臣の墓が並んでいる 
  • 地蔵堂 - 「筑前六地蔵尊霊場」「九州二十四地蔵尊霊場第二十二番札所」
    地蔵堂 - 「筑前六地蔵尊霊場」「九州二十四地蔵尊霊場第二十二番札所」 
  • 山門内の木像
    山門内の木像 
  • 山門内の木像
    山門内の木像 
  • 事務所前の縁台
    事務所前の縁台 
  • 東長寺 - 『筑前國続風土記附録』挿絵
    東長寺 - 『筑前國続風土記附録』挿絵 
    ,2017-01-08)

六角堂と地蔵堂

伊藤氏メモ東長寺の山門の左脇に、「六角堂」がある。このお堂は礼拝しやすいように正面が広く造られた変形の六角形。 屋根は瓦葺き宝形造りの二重屋根になっている。これは行基葺きといわれる形で、九州では他に大分国東の冨貴寺にあるだけと聞く。 堂内は輪転蔵になっており6体の仏像が安置されている。それぞれの厨子の扉に当時の文人墨客の書画や彫刻が描かれていて、その中には仙厓和尚のものもあるという。この六角堂は、福岡市の文化財に指定されている。

この六角堂は天保13年1842に東長寺の末寺である馬場新町の本願院に建立された。 博多東町上に住み、薬や油を手広く扱う商人であった豊後屋太田栄蔵が各地の商人に呼びかけて浄財を募り、建立の費用に充てたという。明治初年に本願院が廃寺になったので、本寺である東長寺へ移したと伝えられる。

六角堂に並んで小さな「地蔵堂」が建っている。ここに祀られる地蔵尊が九州24地蔵尊の22番札所に当てられる立江智慧地蔵尊である。 徳島県小松島市にある四国88か所霊場の19番札所橋池山立江寺(きょうちざんたつえじ)から勧請したと伝えられる延命地蔵尊である。(『筑前の寺めぐり 』より)()

黒田家の墓所前の案内板[参考資料]

また、境内の案内板(「黒田家の墓所」)の内容をそのまま記す。

東長寺は大同元年806、唐から帰国した弘法大師空海 が博多の海辺に建立した密教寺院と伝えられています。 志摩郡(しまぐん)志登村に一時移った後、現在地に移転したといわれています。 二代藩主黒田忠之(ただゆき)大橿越(だいだんえつ)(施主)になってから寺域の基礎が固まりました。 現在、寺蔵の千手観音立像が重要文化財(彫刻)、 境内の六角堂が市指定文化財(建造物)となっています。

この史跡は福岡藩主黒田家の墓所で、西側に二代忠之1602~1654、中央に三代光之(みつゆき)1628~1707、 東側に八代治高(はるたか)1754~1782の三藩主が葬られています。

墓碑は三藩主とも花崗岩製の五輪塔で、それぞれ兜率天(とそつてん)にあるとされる四十九重の 摩尼宝殿(まにほうでん)に由来する49本の花崗岩製の卒塔婆で囲まれています。 忠之の墓前には殉死した5名の墓碑である五輪塔が並んでいます。 治高の墓石は恰土郡(いとぐん)徳永山から切り出されたものです。

これまで東長寺は福岡市の都市化に伴いその境内地を変えてきましたが、三藩主墓所部分は 当初の姿をとどめ、福岡藩の歴史資産として貴重な文化財です。 なお、藩祖如水、初代長政はじめ他藩主の墓所は博多区千代4丁目の 崇福寺(そうふくじ) 北側(市指定史跡)と東京にあります。


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