heritage 鳥飼八幡宮(とりかいはちまんぐう) 神道 ☆☆☆ 唐津街道 伊藤氏参拝済

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〒810-0054 福岡県福岡市中央区今川2丁目1-17   標高:6.9m 地図 GMAP 092-741-7823  ホームページ
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歴史

神功皇后が三韓征伐からの帰途、姪浜(福岡市西区)に上陸し鳥飼村平山にて宴を開いた。 後に村長になった人物の子孫が神功皇后ゆかりの地に社殿を建てて、「若八幡」と名付けて祀ったのが鳥飼八幡宮の発祥と伝わる。[1]

戦国時代末期、天正14年(1586)、九州筑前は大友・龍造寺・島津の三者が覇を競う混乱の中にありました。大友氏の勢いが衰退すると、肥前の龍造寺氏が筑前に進入。宮司であった鳥飼宮内少輔氏勝は近隣の豪族と 共に龍造寺氏に降り、大友氏の家臣、岩屋城主高橋紹運に夜襲を受け父子とも討死。社殿なども全て焼失し、祭祀は一旦断絶。

関ヶ原の戦後に筑前に入封された黒田長政公、慶長13年(1608)、福岡城西の大堀のほとりに別邸を建築する事となり、その地として鳥飼村平山の八幡宮境内地が選ばれた。 代わりに現在の境内地を賜り、大豆18石を奉納された。 平山式部丞重道が鳥飼浜松林の中(現在の鎮座地)に仮宮を建て八幡宮を遷座した。 拝殿は重道が自力で建立した。

寛永2年(1625)、氏子によって新たな社殿が造営された際には、そのお祝いに2代忠之が米7石の奉納。福岡城西の総氏神として、城下の人々の崇敬を集めた。(以上 ホームページより)

門前(南側)に東西に通る道は唐津街道である。

ひとくちメモ

町中のお宮にしては広い境内である。多くの木々に囲まれている。 千年蘇鉄(せんねんそてつ)(社務所前)、イチョウなどの巨木がみられる。

現在は当社北側の明治通りのほうが道幅も広く圧倒的に交通量も多いが、当時は南側の唐津街道側が表通りだったのだろう。 門前の通りは昔の街道の風情が感じられる。

写真

  • 門前の唐津街道 - 西新に向かって撮影
    門前の唐津街道 - 西新に向かって撮影 
  • 息吹の大銀杏の根元
    息吹の大銀杏の根元 
  • 大楠(左)と「息吹(いぶき)の大銀杏」(案内板によれば、息吹の大銀杏は第2次世界大戦で焼夷弾の直撃を受け炎上。数年後、黒焦げの枝から新芽が息吹き今日の姿になったという)
    大楠(左)と「息吹(いぶき)の大銀杏」(案内板によれば、息吹の大銀杏は第2次世界大戦で焼夷弾の直撃を受け炎上。数年後、黒焦げの枝から新芽が息吹き今日の姿になったという) 
  • 神殿(左)と拝殿
    神殿(左)と拝殿 
  • 千年蘇鉄(武内宿禰ゆかりの蘇鉄) - 社務所前
    千年蘇鉄(武内宿禰ゆかりの蘇鉄) - 社務所前 
  • 千年蘇鉄の根本(拡大)
    千年蘇鉄の根本(拡大) 
  • 黒門より藤崎までの図其2(巻之1福岡)
    黒門より藤崎までの図其2(巻之1福岡)
    『筑前名所図会』
  • 鳥飼八幡宮 - 『筑前國続風土記附録』挿絵
    鳥飼八幡宮 - 『筑前國続風土記附録』挿絵 

旧地(元宮様)

全景(向って左手より、鳥飼八幡宮元宮)・太宰府天満宮・埴安神社・秋葉神社 - 埴安神社境内
全景(向って左手より、鳥飼八幡宮元宮)・太宰府天満宮・埴安神社・秋葉神社 - 埴安神社境内 
鳥飼八幡宮元宮 - 埴安神社境内
鳥飼八幡宮元宮 - 埴安神社境内 
鳥飼八幡宮元宮の鳥居 - 埴安神社境内
鳥飼八幡宮元宮の鳥居 - 埴安神社境内 
御供道(右手に鳥飼八幡宮元宮の鳥居が見える)
御供道(右手に鳥飼八幡宮元宮の鳥居が見える) 

南当仁小学校の西側の県営住宅敷地内。場所はこのあたり。 遷宮後はこの付近は「茶屋の内」あるいは「茶屋の山」と呼ばれていた。 その場所には「神功皇后御駐軍の跡」と記された石碑があるという。

寛永18年(1641)、元宮付近の氏子達は祭典が途絶えてしまっていたことを嘆き祭典を行うようになった。 今日でも「宮座献饌祭」として続けられている。 御供を祀る為、藁の包にいれ精進清斎をして供進する道は「御供道(ごくみち)」と呼ばれる。(以上 ホームページより)

現在の埴安神社横から西町公園(当社の南隣)に至る道である。 埴安神社境内には、鳥飼八幡宮(元宮様)の祠も祀られている。


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脚注