bukki 紫雲山 徳勝寺(とくしょうじ) 浄土真宗本願寺派 ☆☆☆ 伊藤氏参拝済

住所・電話
〒811-1102 福岡県福岡市早良区東入部2丁目18-9   標高:41.5m MAP GMAP 092-804-2537 
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歴史

『筑前國続風土記拾遺』巻之44 早良郡 中 東入部村の項に下記の記載がみられる。

徳勝寺

隅本に在。真宗西本願寺直末也。 角将監秀兼と云僧の成開基すといふ。

伊藤氏メモ開基を角将監といい、もと荒平城の家臣にて、落城後、世の無常を感じ仏門に入る。 明治31年(1898)の火災にて、堂宇、寺宝などすべて焼失。(『福岡寺院探訪』より)()

当寺から直線距離で100mほどの莬道嶽山中に名号石がある。 当寺に関連したもののようだ。当ページ下部の「名号石」参照のこと。

ひとくちメモ

徳勝寺は早良区の田園地帯の住宅街の一角の伽藍を構えている。 門前の南北に走る道は古い道のようだ。道沿いには清水が流れる水路がある。

門前にはヤマタカ醤油がある。

写真

  • 山門
    山門 
  • 掲示板
    掲示板 

名号石

名号石(正面「南無阿彌陀仏」)
名号石(正面「南無阿彌陀仏」) 
名号石(向って左側の側面、「開基角将監秀兼(この間に多数の判読不能の文字がある)天正三年乙亥」などの文字が読み取れる。)
名号石(向って左側の側面、「開基角将監秀兼(この間に多数の判読不能の文字がある)天正三年乙亥」などの文字が読み取れる。) 
名号石(向って右側の側面、「安永四□正(五?)月廿一日 十一世 □□(改行)文化十四丁丑正月廿ニ日 十二世 □□」などの文字が読み取れる。)
名号石(向って右側の側面、「安永四□正(五?)月廿一日 十一世 □□(改行)文化十四丁丑正月廿ニ日 十二世 □□」などの文字が読み取れる。) 
名号石(全景)
名号石(全景) 
名号石(遠景。赤丸の中)
名号石(遠景。赤丸の中) 
2基の立派な墓碑(明治期の建立銘) - 名号石下側の平坦面
2基の立派な墓碑(明治期の建立銘) - 名号石下側の平坦面 
墓碑(「釈」の文字が冠されているので浄土真宗系の墓碑と思われる) - 名号石下の平坦面
墓碑(「釈」の文字が冠されているので浄土真宗系の墓碑と思われる) - 名号石下の平坦面 
散乱している墓碑・礎石(?)など - 名号石下の平坦面
散乱している墓碑・礎石(?)など - 名号石下の平坦面 

当寺の裏手の集落が途切れた所より20mほど山中に入ると林の中に名号石がある。(場所はこちら)

正面に「南無阿彌陀仏」

向って左側面に「開基角将監秀兼(この間に多数の判読不能の文字がある)天正三年乙亥(1575)

向って右側面に「安永四□(1775)正(五?)月廿一日 十一世 □□(改行)文化十四丁丑(1817)正月廿ニ日 十二世 □□」

向って左側面に刻まれている「角将監秀兼」とは、歴史の項で記した開基僧の名と合致する。 当名号石は徳勝寺の寺歴を示した記念碑のようだ。 これによって、徳勝寺は天正3年(1575)に開基されたことがわかる。

名号石のある平坦面より一段下がった所には大きな墓碑があり、その脇には「釈□□」など墓標が転がっている。 この平坦面は徳勝寺の昔の墓地のようだ。

この場所は菟道嶽の山裾にあたる。小田部氏の安楽平城の支城・菟道嶽城があったという(Links① より)。

荒平城は天正7年(1579)肥前の龍造寺隆信に攻められ落城したという。 菟道嶽城も運命を共にしたと思われる。 上の歴史の項の『福岡寺院探訪』によれば、開基の角将監は荒平城(安楽平城)落城後に仏門に入ったとあるが、名号石の記録ではその4年前に当寺を開基したことになっている。 年代的に矛盾があるが、これ以上の推理は専門家に委ねることとする。

2022-01-17、当寺より200mほど南西に鎮座している老松神社の遷座前の遺構を探す途中に偶然、当名号石を発見。当記事を書くこととなった。


ヤマタカ醤油

ヤマタカ醤油工場
ヤマタカ醤油工場 
ヤマタカ醤油事務所
ヤマタカ醤油事務所 

伊藤氏メモやや北側の道東沿いに[ヤマタカ醤油]という醸造元がありました。 明治29年(1896)の創業とのこと。販売店舗入口の前には大きな醤油樽が置かれているのが印象的です。 ()


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