bukki 金剛山 徳正寺(とくしょうじ) 浄土真宗本願寺派 ☆☆☆ 唐津街道 享保の大飢饉 伊藤氏参拝済

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〒819-0167 福岡県福岡市西区今宿3丁目4-10   標高:6m 地図 GMAP 092-806-0136 
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歴史

『筑前國続風土記拾遺』巻之48 志摩郡 上 谷村(今宿驛)の項に「今宿(中町)に在。真宗西本願寺直参なり。 天文2年(1533)6月開基せり。」と記載されている。

伊藤氏メモ『福岡寺院探訪』に次のような記載がある。

昔、川筋に七つの寺があったことから、七寺川と称したという言い伝えがあるが、その川筋にあった七か寺の内の一か寺が当寺で、その後二転三転と場所を変え、現在の地に移った(寺の口伝)。

『筑前國続風土記』に、「此川は上原青木村より流いつ(中略)此川上に鉢伏山[1]の末寺七箇寺ありし故に七寺川と云」とある。当寺の創建は享禄2年(1529)(また天文2年(1533)ともいう)にて開基を泰山という(『糸島郡誌』)。()

ひとくちメモ

今宿の旧唐津街道(今宿)沿いにあり、境内には西日本一帯に大被害のあった享保の大飢饉で亡くなった人たちを祀った飢人地蔵尊が立っている。 徳正寺周辺は、古い町並みがあり旧唐津街道の雰囲気を良く残している。

写真

  • 親鸞聖人像
    親鸞聖人像 
  • 本堂
    本堂 
  • 門前の風景(前後方向の道は唐津街道、右手が徳正寺)
    門前の風景(前後方向の道は唐津街道、右手が徳正寺) 
  • 鐘楼 - 本堂の屋根の上
    鐘楼 - 本堂の屋根の上 

飢人地蔵尊(うえにんじぞうぞん)

飢人地蔵尊
飢人地蔵尊 

享保17年(1732)、春先から降り続いた雨で、麦は腐り、秋口には害虫の被害によって稲も全て腐り果ててしまった。

当地(今宿)でも、横浜[2]にあった藩の米蔵の米を求めて近郊の村々から多くの人が集まり、行き倒れとなった人の数は1000人にも及んだと伝わる。 この享保の飢饉によって亡くなった人達を弔うために建てられたのが「飢人地蔵」である。

後に、怡土、志摩、早良[3]の郡代が出張し、徳正寺に多数の僧侶を招いて、明治維新まで五十回忌・百回忌の追悼法要が行われた。(以上 地蔵尊に添えられた御影石製の由来記(徳正寺第17世銘)より)

当地蔵尊は山門をくぐって右手の塀際に祀られている。3体共、長年い風雪でがなり削られている。


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脚注