bukki 萬境山 天福寺(てんぷくじ) [天福禅寺] 臨済宗妙心寺派 ☆☆☆ 伊藤氏参拝済 福岡市新四国霊場第16番 石城三十三箇所観音霊場第5番

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〒814-0143 福岡県福岡市城南区南片江4丁目40-30   標高:85.9m MAP GMAP 092-862-1809  FACEBOOK
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歴史

聖福寺塔頭(たっちゅう)(山内寺院)として、博多区冷泉町に位置していたが、昭和58年(1983)に、 同地を離れ油山に移転した。

維新の志士加藤司書が慶応元年(1865)寺内で切腹した。

元の地のビルの前には司書の辞世の句が添えられた「天福寺跡」なる石碑がある。(旧地を参照のこと)

伊藤氏メモ天福元年(1233)創建。 初め東長寺の北隣にあったが、そこに藩主黒田忠之の廟を建てるため、西向こう側の龍宮寺境内、 及び奥堂町の人家の裏を賜り移転(現在の冷泉町)。 その後、昭和58年城南区片江に移転。 福岡藩の家老加藤司書は、幕末「乙丑の獄(いっちゅうのごく)」により、 慶応元年(1865)10月25日、ここ天福寺で切腹した。 墓は、節信院(博多区御供所町)にある。 なお、加藤司書公の屋敷跡は中央区桜坂2丁目10番にあり、 石碑が立っている。(はなみずき通り筑紫女学園から少し南の細い道を右に入ってすぐ左に折れる。 民家の門の脇にあり)(「古地図の中の福岡・博多」などより)()

伊藤氏メモ『福岡寺院探訪』によれば、 当寺は、四条天皇の天福元年(1233)に高陽により創建されたもので、当時の年号をとり寺号としたという。()

参考:『筑前國続風土記拾遺』

ひとくちメモ

山門をくぐると、正面に多数の地蔵菩薩が立っている。その脇より緩やかな坂道を20mほど登ると境内である。 右手に庫裡があり、その前をすぎて階段を登って本堂にたどり着く。 本堂の前は手すりが周囲に設置されておりちょっとした展望所のようだ。 青々とした木々の先に福岡市内の風景を眺めることができる。

伊藤氏メモ天福寺に行った際には、その足元にある片江風致公園の多数の日本文学碑を見るのもいいですね。()

写真

  • 本堂正面
    本堂正面 
  • 本堂の扁額
    本堂の扁額 
  • 山門 - 境内より撮影
    山門 - 境内より撮影 
  • 山門の装飾
    山門の装飾 
  • 西側の風景 - 本堂前より撮影
    西側の風景 - 本堂前より撮影 
  • 北側の風景(福岡市内の町並みが見える) - 本堂前より撮影
    北側の風景(福岡市内の町並みが見える) - 本堂前より撮影 
  • 北側の風景(福岡市内の町並みが見える) - 本堂前より望遠にて撮影
    北側の風景(福岡市内の町並みが見える) - 本堂前より望遠にて撮影 
  • 境内風景(正面の建物は庫裡)
    境内風景(正面の建物は庫裡) 
  • 参道 - 山門脇より本堂域に向って撮影
    参道 - 山門脇より本堂域に向って撮影 
  • 表札碑
    表札碑 

旧地

天福寺跡の石碑
天福寺跡の石碑 

石碑は福岡第一生命ビル(博多区冷泉町5)の前にひっそりと立っている。 表題は「加藤司書公歌碑」。辞世の句が刻まれている。

君が為 尽す 赤い心今よりも 尚いやまさる 武士の一念


筑前國続風土記拾遺』巻之8 博多寺院(上)

東長寺(巻之2博多)(図左下隅に天福寺の山門がみられる)
東長寺(巻之2博多)(図左下隅に天福寺の山門がみられる)
『筑前名所図会』

天福寺

萬境山と号す。 禪宗濟家聖福寺に末寺也。 開山を高陽和尚と云。 四條帝の天福元年(1233)に開基すといへり。 (此寺号年号を用ひし事疑ひ有といへとも姑く傅説に従ふ。)

始ハ東長寺の北隣に有りしを承應3年(1654)忠之公逝去せられ、東長寺に葬り奉らるヽに寺内狭かりし故、 當寺の地を彼寺域とし、 其代地として龍宮寺の境地及び奥堂町の商家の内を合て(表口21間) 賜りて當寺を今の所に移せリ。

寺内に観音堂(昔は金佛ありしを盗人の為取られしか今ハ木像の正観音を置けり。) 地蔵堂有。 此地蔵ハ昔博多七堂の其一也。 (此堂初奥堂町に有。 其地に今も其址を形はかり残れり。)

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