torii 立帰天満宮(たちかえりてんまんぐう) [大師堂] 神仏習合 ☆☆☆ 伊藤氏参拝済 福岡市新四国霊場第72番

住所・電話
〒810-0061 福岡県福岡市中央区西公園10-7   標高:15.9m 地図 GMAP
検索
同地区同宗派(1)  ( 4km以内 )  関連寺社(2) MAP  周辺のスポット(18)  Links(1)

歴史

社伝によれば、ご神体は元来、武蔵寺(ぶぞうじ)(筑紫野市)の境内に祭られていたが、元禄年間(1688-1703)荒津山(あらつやま)[1]の麓の源光院[2](廃寺)へ移された。 明治20年(1887)福岡師範学校の建設に伴い、現在地へと移転した。(門前の案内板より)

社殿の裏手に建てられている大師堂は明治21年(1888)谷町[3]33番地に祭祀されたが、昭和36年(1961)10月当所に再建された。福岡市新四国霊場第72番霊場。(大師堂脇の案内板より)

札所一覧では福岡市新四国霊場第72番霊場は「(早)西新2-24-20 なかむら酒店前 本尊:百道地蔵尊」とある。百道地蔵については当ページ下部に記事を書きます。

昭和50年(1975)光雲(てるも)神社に於いて黒田如水 満370年祭・採灯大護摩供が天台宗 大聖院によって挙行された。(天満宮の拝殿の正面に掛けられている木札より)

天満宮と大師堂との関連は不明。大師堂も源光院と関連していたものではなかろうか? 大聖院(糸島市)も元は源光院と何らかの関連があったと思われる。大聖院は平成5年(1993)までは中央区舞鶴にあった。両寺共に天台宗の寺院である。

ひとくちメモ

天満宮の参道口は光雲神社参道の脇にある。 境内へは鳥居をくぐって石段を下って入る。 正面に天満宮の社殿、社殿に向かって左手前には社務所、その裏手に大師堂がある。

大師堂の扉は施錠されており格子戸越しの参拝となった。

御礼:ここに福岡市新四国霊場の大師堂があることは福岡市中央区在住のpopo様からのメールで教えて頂いた。 感謝感謝。

天満宮が鎮座する西公園は、福岡市民の花見の名所となっている。 西公園の北側は博多湾に面しており、景色もなかなかのもの。あまり知られていない穴場である。 作者は過去に花見の時期に当天満宮の前は何度も通り過ぎていたが、今回のようにしっかり参拝したのは初めてである。

写真

  • 大師堂
    大師堂 
  • 天満宮社殿 - 天満宮(大師堂前より撮影)
    天満宮社殿 - 天満宮(大師堂前より撮影) 
  • 拝殿 - 天満宮
    拝殿 - 天満宮 
  • 拝殿前面の採灯大護摩供の木札 - 天満宮
    拝殿前面の採灯大護摩供の木札 - 天満宮 
  • 大師堂 - 裏手より撮影
    大師堂 - 裏手より撮影 
  • 大師堂の案内板
    大師堂の案内板 
  • 祭壇 - 大師堂
    祭壇 - 大師堂 
  • 祭壇(拡大) - 大師堂
    祭壇(拡大) - 大師堂 
  • 祭壇の不動明王(細かい線刻)
    祭壇の不動明王(細かい線刻) 
  • 鳥居裏手のハナニラの花
    鳥居裏手のハナニラの花 
  • 鳥居裏手のネコちゃん
    鳥居裏手のネコちゃん 

門前の案内板(参考)

菅原道真を祭る神社です。社伝によれば、ご神体は元来、武蔵寺(ぶぞうじ)(筑紫野市)の境内に祭られていましたが、元禄年間(1688-1703)荒津山(あらつやま)の麓の源光院へ移されました。 明治20年(1887)福岡師範学校の建設に伴い、現在地へと移転しました。 港近くに鎮座する当社は、その名称から旧藩時代には藩船の船乗りに信仰され、近代に入ってからも特に遠洋航海にでる漁業関係者の崇敬を集めました。戦時中には出征兵士の無事な帰還を願う人々が多く参詣したと伝わります。

天満宮の拝殿の正面に掛けられている木札の内容(参考)

木札は拝殿の両サイドの柱に同じタイプのものが掛けられているが、向かって右手のものは判読不可。 下に記すのは左手の判読可能のものである。

昭和50年(1975) 於光雲神社 奉修 黒田如水公 満370年祭 採灯大護摩供天下■■ 天台宗 大聖院大■■■

大師堂脇の案内板(参考)

大師堂由来

不動尊(石刻)・地蔵菩薩(石刻)・親子地蔵(石刻)・不動明王(石刻)・観世音(木刻)・弘法大師(石刻)・延命地蔵(石刻)・地蔵菩薩(石刻)

本大師堂は明治21年(1888)谷町33番地に祭祀。昭和36年(1961)10月当所に再建す。

福岡市新四国72番霊場

百道地蔵・・・福岡市新四国72番札所の所在

2022-11-14、早良区在住のサバトラ様より、百道地蔵の情報を頂いた。 福岡市新四国霊場の札所一覧では72番札所は「(早)西新2-24-20 なかむら酒店前 本尊:百道地蔵尊」とあるが、 なぜ現在は当、立帰天満宮の大師堂が72番札所になっているのか、「現在調査中」とのこと。 百道地蔵は博多区の崇福寺境内の塔頭・心宗庵の本堂の前に祀られている。 以下はサバトラ様からの情報を列挙して備忘録とする。

  • 大正15年(1926)、水難事故が福岡女子高等小学校の林間学校で起こり、30名程の児童が溺れ5名が亡くなった事故。
  • 昭和18年(1943)百道地蔵建立(海の家を営んでいた中村与八郎氏が建立)。百道海水浴場で度々起こっていた水難事故で亡くなった人々を弔うため。
  • その後(時期不明)、百道地蔵は博多区千代の崇福寺に移された。現在は崇福寺境内の塔頭・心宗庵の本堂の前に祀られている。画像は百道地蔵尊|心宗庵参照のこと。
  • 昭和60年(1985)福岡市新四国札所一覧(『佛法遥かに非らず』)発行。「(早)西新2-24-20 なかむら酒店前 本尊:百道地蔵尊」とある。ここが昭和60年時点では72番札所であったことがわかる。Links① によれば、場所はここ。「百道地蔵跡地」と記された白杭が2007年までは設置されていたが現在はなくなっている。
  • 2020-03-24、当、立帰天満宮の大師堂が72番札所となっている。

関連寺社(※過去に関連していた寺社も含みます。必ずしも現在関連している寺社とは限りません。)

周辺のスポット(4km以内)

周辺の寺院・仏教施設は当ページの上部の検索の項の「4km以内」のボタンをご利用下さい。

脚注