heritage 将軍地蔵尊(しょうぐんじぞうそん) [還國寺跡] 仏教礼拝所 ☆☆☆ 馬頭観音 福岡市新四国霊場第53番

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〒812-0053 福岡県福岡市東区箱崎6丁目6-17   標高:2.1m 地図 GMAP
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歴史

境内の石碑の碑文の内容を下に記す(ふりがなは作者が挿入した)。

境内土地払下記念碑

当将軍地蔵菩薩はもと九州大学工学部[1]内、旧還國寺跡[2]に祀られていたが明治42年(1909)大学設置のときに此の地に移されて来たものである。

しかるに境内は町有地であったので町市合併のとき市有地となりこの(まま)にして置けば何時知らぬ間に無縁者へでも払下げられるかわからない憂ふべき状態にあるので筑紫頼定氏の助言もあり宗教法人将軍地蔵教会を設立し境内地払下げ運動起こしたものの容易に解決せず困惑していたが幸いにも市議会議員御田工氏等の尽力により昭和34年(1959)5月18日付を以て多年の宿願たる境内地弐百拾六(216)坪を無償払下げを受けることに成功した。 尚又相次いで数百年来郷土諸人が地蔵菩薩を主として信仰施餓鬼などを営み御祭りつづけてきた。 本尊地蔵菩薩は昭和35年(1960)8月5日室町時代初期の貴重な石仏として福岡県文化財に指定され関係者の喜びこれに過ぎるものはない。よってこの機会に右の顛末を石に刻み払下げ土地と共に永久にのこすことになったのである。

地蔵教会代表総代中村政吉翁は(つと)に信仰の念厚く地蔵堂の修築に多額の経費を出費せられ尚土地払下げ運動には89才の老令(ママ)を顧みず信仰的奉仕されたることを世話人一同感謝し碑上に翁の胸像を飾ることになった次第である。

昭和36年(1961)6月 岩田藤三郎文 鶴田善五郎書

Linksのページによれば、将軍地蔵尊は石造坐像。高さ162.5cm、像高80.8cm、台座から光背まで花崗岩の一材から彫りだされているという。

ひとくちメモ

境内はJR鹿児島本線と九州大学敷地に挟まれた南北に細長い領域となっている。 一番北側に本堂がある。正面から見れば車庫風の作り。その裏手には方形屋根のお堂が附属している。正面にあるのは拝殿ではなかろうか? スチール製のシャッターが降ろされ地蔵菩薩は拝むことはできなかった。

本堂は、多数の墓石に囲まれている。なかには「安政(1855-1860)」「安永(1772-1781)」などの銘も判読できるものもある。

他に十三仏・小堂・石塔など多数みられる。 これらのものは還國寺跡にあったものもあるだろうが、周辺地域から持ち込まれたものも含まれているのだろう。境内の南の端には2mほどの石塔が覆屋の中に安置されている。文字が書かれているが判読不能。残念。

写真

  • 将軍地蔵尊本堂周辺の墓石群
    将軍地蔵尊本堂周辺の墓石群 
  • 将軍地蔵尊本堂周辺の墓石群
    将軍地蔵尊本堂周辺の墓石群 
  • 将軍地蔵尊本堂周辺の墓石群
    将軍地蔵尊本堂周辺の墓石群 
  • 十三仏
    十三仏 
  • 小堂
    小堂 
  • 小堂(「阿多田地蔵尊」)
    小堂(「阿多田地蔵尊」) 
  • 小堂(「阿多田地蔵尊」)内(弘法大師と多数の墓石)
    小堂(「阿多田地蔵尊」)内(弘法大師と多数の墓石) 
  • 馬頭観音堂(右手に記念碑)
    馬頭観音堂(右手に記念碑) 
  • 馬頭観音 - 馬頭観音堂
    馬頭観音 - 馬頭観音堂 
  • 小堂
    小堂 
  • 小堂内(文字・絵が刻まれているが判読不能)
    小堂内(文字・絵が刻まれているが判読不能) 
  • 多数の石(塔?)が安置されたお堂
    多数の石(塔?)が安置されたお堂 
  • 石塔の覆屋
    石塔の覆屋 
  • 石塔(文字が刻まれているが判読不能) - 覆屋内
    石塔(文字が刻まれているが判読不能) - 覆屋内 
  • 九州大学工学部敷地(移転の為取壊しが進んでいる) - 境内より撮影
    九州大学工学部敷地(移転の為取壊しが進んでいる) - 境内より撮影 

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脚注