bukki 龍起山(りゅうきざん) 勝福寺(しょうふくじ) [勝福禅寺] 臨済宗大徳寺派 ★★☆ 中門 エノキ 登志神社 伊藤氏参拝済

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〒819-0165 福岡県福岡市西区今津1722   標高:8.6m MAP GMAP 092-806-2423 
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歴史

境内の案内板の内容をのそまま記す。

龍起山(りゅうきざん)と号し、臨済宗大徳寺派の寺で、開山は大覚禅師(だいかくぜんし)蘭渓道隆(らんけいどうりゅう))、北条時頼(鎌倉幕府5代執権)を壇越として、 建長元年(1249)の創建によるものである。延文5年(1360)には朝廷の勅願寺になっており、 そのことを示す文書が今に伝えられている。なお、本寺に伝わる絹本著色大覚禅師像(けんぽんちゃくしょくだいかくぜんしぞう)は、国指定重要文化財である。

大覚禅師は、1213年宋の西蜀涪江に生まれ、北条時頼の信任を受け、鎌倉に建長寺を開山し、 我が国禅宗独立の上に重要な足跡を残している。

このお寺は、同じ今津にある誓願寺とも縁のあるお寺のようである。 その関係は現時点での作者の古文書読解力・歴史知識ではなかなか理解できない。 興味のある方は下に『筑前國続風土記』『筑前國続風土記拾遺』の該当する部分を転載しているのでそれをご覧ください。

伊藤氏メモ『福岡寺院探訪』に次のような記載がある。()

住職の話では末寺は23か寺あったという。明治頃までは6か寺残っていたものの、現在、その姿なし。 近くに散在する観音堂がその名残ではなかろうか、と住職はいう。

ひとくちメモ

勝福寺は今津の集落の中に伽藍を構えている、すぐそばには誓願寺、今津湾がある。 中門は、長い風雪にさらされていて、禅寺らしい渋さがある。作者のお気に入りの一つである。

登志神社と勝福寺の間にはエノキの巨木の林がある。 これもみものである。 南側に広がる広大な今津の干潟にはカブトガニが生息しているという。 作者は未だ見たことがない。

伊藤氏メモ 年代を経たかなり朽ちた古い中門は、口伝によると足利尊氏の寄進によるものとのこと(『福岡寺院探訪』)。 また、本堂左手には、[天然記念物勝福寺幡龍松]の石碑が建っていますが、これは樹齢700年の大松で、 北方に延びる枝が二十数メートルにも及び、遠くは京阪神までその名が知れ渡るほど見事な松があったということです。 昭和9年(1934)に内務省より天然記念物に指定。ただし、昭和18年(1943)に枯死したもので、 現在はその大松の跡にこの記念碑があるということです(同)。()

写真

  • 中門 - 境内から撮影
    中門 - 境内から撮影 
  • 中門
    中門 
  • 中門
    中門 
  • 本堂
    本堂 
  • 本堂
    本堂 
  • 中門
    中門 
  • 本堂の扁額
    本堂の扁額 
  • 鐘楼
    鐘楼 
  • 境内風景
    境内風景 
  • 本堂左手の小堂
    本堂左手の小堂 
  • 小堂内部の石仏
    小堂内部の石仏 
  • 境内の石仏
    境内の石仏 
  • 境内の石仏
    境内の石仏 
  • 山門右手の天満宮
    山門右手の天満宮 
  • 天満宮境内の3つの小堂
    天満宮境内の3つの小堂 
  • 山門脇のイヌマキの大木
    山門脇のイヌマキの大木 
  • 門前の風景
    門前の風景 
  • 梵鐘
    梵鐘 

登志神社

拝殿
拝殿 
参道口
参道口 
社殿
社殿 
神殿裏手の摂社・末社
神殿裏手の摂社・末社 
今津人形芝居(案内板より引用)
今津人形芝居(案内板より引用) 

参道口は勝福寺の上手(北側)にある。 境内はクスをベースとした多くの木々で覆われている。 手入れが行き届いて見通しは良好。

参道口脇の案内板の内容を下に引用する。

登志神社(としじんじゃ)(Toshi Shrine)

今津は、古代、登志郷(としのごう)と呼ばれており、港には中国の船が多数寄港していました。古い地名が残るこの神社は、登志の港鎮守のために祀られました。

毎年1月15日には、「今津の十一日松囃子(まつばやし)」がこの神社を氏神として催されます。三味線,太鼓、鐘で囃しながら「山車引き歌」を歌い、山笠や山車で町内を練り歩く姿には、博多の山笠やどんたくの原初的な形がみられます。

また,9月初旬にこの神社の境内で行われる「今津人形芝居」は、もとは隣村の大原(おおばる)にあった「大原操り人形(おおばるあやつりにんぎょう)」の道具一式を明治24年(1891)に,今津で新たに結成された「恵比寿座」が譲り受けて始めたものです。昭和45年(1970)には今津人形芝居少年部が組織され、その伝統が受け継がれています。昭和29年(1954)に、県の無形民俗文化財に指定されました。

平成14年3月 西区役所

『筑前國続風土記附録』巻之43 志摩郡 上 今津村の項を下に記す。(参考)

登志大明神社(ヲノウエ 神殿方5尺・拝殿3間3間・祭礼9月28日・鳥居1基・奉祀牧園出雲)

本編にいつれの神を祭るといふ事をしらすとあり。 今祠官は中筒男命・豊受大神・八幡大神3座を祭るといふ。 鎮座の時代詳ならす。 原田氏・臼杵氏より神領寄附の証文(ならびに)天冠仮面5箇、社に蔵む。 縁起1巻あり。[1]吉野元軌(えら)へり。境内に陰若社・稲荷社あり。


『筑前國続風土記』巻之23 志摩郡 勝福寺(禅宗)

誓願寺図(左手に勝福寺、右下に寿福寺が描かれている) - 『筑前國続風土記附録』(下)挿絵
誓願寺図(左手に勝福寺、右下に寿福寺が描かれている) - 『筑前國続風土記附録』(下)挿絵 

今津村にあり。 龍起山興聖勝福寺と號す。 何の時創立せにや、開基の年代分明ならず。 中興の開山を方外禪師と云。夢窓國師(1275-1351)の弟子たり。 此寺も叉昔は繁栄の地にて、 寺産も多かりしとかや。 後光厳院延久[2]5年(1360)、 此寺を勅願所とし、御祈祷を致べしとて、方外禅師に賜りし論旨有。 宿紙書之。 其他足利尊氏、義詮の文書、及國主領主の寄進状等多く傅はれり。 事繁ければ(ここ)に記さず。

『筑前國続風土記拾遺』巻之48 志摩郡 上 今津村(ならびに)浦の項

本村(寺小路)にあり。龍起山と号す。 禪宗済家崇福寺に属す。 開基の時代分明ならす。 方外禪師を中興開山とす。 (寺説には開基檀越最明寺時頼、開山大覺禅教中興夢想國師と云。 各肖像あり。 又當寺實山真和尚の像有。賛ハ文安(申)(子)(1444)祥鸞和尚筆也。 又金威和尚の像賛ハ永禄7年(1564)陽伯叟宗収とあり。 鬼簿[3]に前房州大守密竹紹貞禅定門永禄4年(辛)(酉)(1561)2月15日とあり。 是は柑子岳(こうじがたけ)城主臼杵鑑續也。 また等持院殿宝篋院殿及前石金吾龍伯宗興禅定門弘治4年(戊)(午)(1558)11月8日と記せる神牌あり。)

此寺昔ハ繁榮の地にて寺産多く且勅願寺にて綸旨(りんじ)[4](ならびに)足利将軍の御教書及び國主領主の寄進状等傅ハれる事本編にでたり。

寺内に潜龍池(寺の北八町海邉に神ノ和田と云所有。此間神龍の道地中を通せりといふ。)蟠龍(ばんりゅう)[5](第一枝横に出北に指て延事13、4間龍の蟠形に似たり。恠木(かいぼく)[6]也。)有。

また昔は子院数多あり。 其内桃林軒(観音堂) 万徳寺(東方口無量山小庵有) 妙泉庵(仁王堂小庵あり。) 住喜軒(観音堂東方)能満寺(虚空蔵久保) の五寺は今に(わずか)の小堂あり。

其外12寺(慶雲庵、法誦寺号伽羅山 廣徳軒 浄光寺 西光寺 順徳庵 正玉庵 寶持庵 萬福寺号ニ捕蛇羅山一 江月庵 潮音寺 安養寺号ニ葦竹山)は廃絶して名のみ残れり。 (廣雲庵 寶聚庵なと寺址も村中に在。 是も此寺または誓願寺の子院なるへし。)

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脚注