安國山 聖福寺 [聖福禅寺・聖福至仁禅寺] 臨済宗妙心寺派★★★ SYOUFUKUJI ZEN TEMPLE 桜 梅 除夜の鐘を撞ける 写経 坐禅 石城三十三箇所観音霊場第15番 博多寺町コース第12番 博多七観音第4番 仙厓 菩提樹 栄西 月堂宗規伊藤氏参拝済
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- 〒812-0037 福岡県福岡市博多区御供所町6-1 標高:7.7m MAP GMAP 092-291-0775 ホームページ
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- 同地区同宗派寺院 4km以内
- 開基
- 栄西
- 寺宝
- 大鑑禅師像(南宋)、高峰断崖中峰三和尚像(南宋)、銅鐘(高麗)
歴史
境内の案内板の内容をそのまま記載する。
聖福寺の歴史
聖福寺は山号を安国山(通称安山)、寺号を聖福至仁禅寺といいます。
開山は千光祖師明庵栄西禅師です。 建久6年1195に源頼朝公より、この地を賜り、頼朝公を開基として創建された日本で最初の禅寺です。 また後鳥羽上皇より「扶桑最初禅窟」(山門の楼上に提示)の号を賜っています。
栄西禅師は、 この寺を建てるまでに二度宋に渡り、二度目に渡宋した折に中国の虚庵禅師より印可を得、臨済宗黄龍派 の法を継承して建久2年1192に帰朝しました。 宋の孝宗皇帝より「千光祖師」の号を賜っています。
聖福寺以外に京都に建仁寺、鎌倉に寿福寺などの禅院を造営し、 『輿禅護国論』など多数の著書を著して禅の宣揚に努めるとともに、 香椎に建久報恩寺を建てて日本で初めての菩薩戒による布薩会を行いました。
また栄西禅師は宋(中国)より「茶」を持ち帰り、当寺境内や背振山などに植えて、 各地に広めました。同時に宋風の喫茶も伝え『喫茶養生記』を著して茶文化の先導的な役割を果たしています。後に「茶祖」と呼ばれる所以です。
栄西禅師の没後、室町時代に入って、聖福寺は五山十刹 制度の十刹第三位(後に第二位)に序せられ大いに興隆しました。初め建仁寺派に属し、江戸時代に、 黒田長政公の命により妙心寺派に転派していますが、聞創以来八百余年 現在の住持である第133代白峰老師に至るまで連綿と法灯が護られ、禅の専門道場として厳しい修行が行われています。
聖福寺の境内地は、創建当初、鎌倉幕府源碩朝公より方八町を戴き(「栄西ロ上書」)、七堂伽藍を建立して、丈六の釈迦・弥勒・弥陀の三尊を安置していたと伝えられています。 塔頭も三八院(現在は六院)を数えました。 その後数度の羅災を経ながらも.その都度再建がなされています。
かつて境内地の一部は寺中町を形成していたと言われ、「安山借屋牒」 1543によれば当駄312人の借屋人がいたと記載されています。今に残る普賢堂・中小路・魚町・店屋・蓮池・西門などの博多の地名は当時の寺中町からのものです。天正15年1587の太閤町割により寺域も方四町狭められ、ほぼ現在の伽藍の配置になり、 山門、仏殿、方丈、庫裡、禅堂などの禅宗様式の七堂伽藍が立ち、周りに勅使門、開山堂、護聖院、 経蔵や塔頭が立ち並んでいます。 昭和44年1969に境内一帯が国の史跡に指定されています。
栄画禅師以来の歴代の住職の中で最も有名なのが、『博多の仙厓さん』として知られている 僊厓義梵禅師1750~1837です。 寛政元年1789に聖福寺の住職になり、文化8年1811に隠居して稜、虚白院で酒脱な禅画を描き、機知に富んだ詩句を用いた教えを説いて、人々に親しまれました。 聖福寺は次の寺院と安山一派をなしている。
伊藤氏メモ神屋貞清(宗湛)は、聖福寺の109代住持・景轍玄蘇が母方の伯父という関係もあり、漢詩会によく出かけ博多商人や文化人と交流した。天正14年1586、京都大徳寺にて古渓和尚を戒師に出家し(以降「宗湛」と号する)、商人身分から僧籍に入ったことから、上層武士との交流が自由になった。(『福岡歴史がめ煮 博多区・中央区編 』より)()
参考資料:門前の案内板
ひとくちメモ
作者の訪問回数がダントツなのが聖福寺である。所用で近くを通ると必ず聖福寺の仏殿前の階段で一休みする。春夏秋冬季節感が味わえる場所である。 観光客と思しき人たちの姿もよく見かける。 春はしだれ桜が数は少ないが美しい。夏は緑が楽しめる。 境内にある護聖院[開山堂]も見ものである。
2011年より2012年にかけて山門前の無染池・仏殿の改装工事が行われた。 改装前の写真も下に残しておく。
山門の掲額「扶桑最初禅窟」は後鳥羽上皇(法王)の宸筆。 室町時代には臨済宗十刹の第三位に列した。 歴代住持のうち、遣明正使として活躍した頤賢硯鼎、天正・文禄年間朝鮮修交に尽くした景轍玄蘇、文化・文政年間書画をもって衆生を済度した 仙厓義梵は著名。(「博多に強くなろう」より)
『筑前名所図会』では、ほぼ現在と同様の風景である。 聖福寺前の通りも人で賑わっている様子がうかがえる。
写真
梅 (拡大) 庫裏前のモクレン 仏殿の扁額 仏殿の阿弥陀仏・釈迦仏・弥勒菩薩 仏殿の天井画 仏殿の栄西禅師の頂相 仏殿の表の拡大 山門の額(扶桑最初禪窟) 総門の額 無染池 - 鴨のペアが翼を休めている 無染池 外観(手前が総門、先が勅使門) 中門 勅使門 堪忍地蔵 堪忍地蔵裏の碑文 境内風景 総門より中門を望む 中門より護聖院(開山堂)を望む 西門 境内の石畳 - 開山堂を背にして撮影 聖福寺前の通り 境内の猫ちゃんたち
改装前の写真
寺表の案内板の内容[参考資料]
当寺は、わが国禅宗の始祖栄西禅師が、宋国より帰朝後、建久6年1195に、 禅宗宣揚のため将軍頼朝を開基として創建したものである。
処立ののち、後鳥羽上皇から下賜された「扶桑最初禅窟」の 勅額はいまも山門楼上にあり、聖福寺はその後発展して九州臨済宗第一の寺となり、 境内方4町(約19,441平方メートル)、子院38に及ぶ大伽藍を誇ったが、 数度の兵火にかかって現在は境内も4分の1にせばまっている。
仏法の求道者として苦難の一生を過した栄西禅師は、わが国の茶祖としても知られ、肥前背振山(霊仙寺趾を参照のこと)、聖福寺に茶種をまき、ここから 山城の宇治や栂の尾にひろめられたといわれている。
歴代高僧のうち特に仙厓和尚は書画等で広く世に知られ、 当寺には仙厓和尚語録をはじめおおくの墨跡や遺品を蔵している。
現在は護聖院(開山堂)幻住庵等の子院を含めて禅宗の伽藍型式がよく保存されているので、国の史跡に指定され、また、 高麗鐘等の重要文化財をはじめ多くの寺宝を蔵している。
関連寺院(※過去に関連していた寺院も含みます。必ずしも現在関連している寺院とは限りません。)
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◎光国寺
福岡市東区土井4丁目30-1 -
◎光西寺跡
福岡市博多区奈良屋町7-15 -
◎円覚寺
福岡市博多区御供所町13-11 -
◎勝楽寺
福岡市東区箱崎3丁目9-48 -
◎千光寺
平戸市木引町354-2 -
◎大生寺
うきは市浮羽町流川478 -
◎天福寺
福岡市城南区南片江4丁目40-30 -
◎如意輪寺
福岡市東区香椎駅東1-2-7 -
◎常楽寺
福岡市西区今宿青木269-1 -
◎幻住庵
福岡市博多区御供所町7−1 -
◎廣福庵
福岡市博多区御供所町6-1 -
◎徳門寺
福岡市西区宮浦1930 -
◎戒壇院
太宰府市観世音寺5丁目7-10 -
◎本岳寺
福岡市博多区上呉服町14-21 -
◎東林寺
福岡市西区宮浦359 -
◎正観寺
菊池市隈府東正観寺1128 -
◎法喜庵
糟屋郡新宮町湊 -
◎泰清寺
北九州市小倉南区富士見1丁目5-38 -
◎清谷寺
糟屋郡久山町大字山田651 -
◎瑞應庵
福岡市博多区御供所町6-2 -
◎真福寺
福岡市中央区地行2丁目3-49 -
◎竜松寺
福岡市西区大字周船寺262-3 -
◎節信院
福岡市博多区御供所町11-20 -
◎聖福寺
北九州市八幡西区上香月1丁目1-1 -
◎荘厳寺
糸島市板持1丁目20-13 -
◎西光寺
福岡市博多区御供所町6-16 -
◎護聖院
福岡市博多区御供所町6-1 -
◎近松寺
唐津市西寺町511 -
◎長性寺
福岡市東区箱崎1丁目36-23 -
◎長教寺
嘉麻市熊ケ畑863 -
◎順心寺
福岡市博多区御供所町11-10 -
○平等寺
糸島市潤3丁目18-11 -
○東隆寺
宇部市棚井棚井上647
Links
① 聖福寺 | 萬盛堂歳時記vol.44
② 仙厓さん | 萬盛堂歳時記vol.24
③ 城郭都市博多の基軸線/聖福寺→→鎮西探題の氏神 櫛田神社 | はかた博物館
④ 博多の仙厓さん | 萬盛堂歳時記vol.59
⑤ 【福岡市】マリア像?香正寺・聖福寺・春吉某所で見つけた同じ形の石 - 【Y氏は暇人】