heritage 飯盛文殊堂(いいもりもんじゅどう) [真教院跡] 天台宗 ★★☆ 十三仏 知恵の水 伊藤氏参拝済 貞和5年銘梵字板石碑

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〒819-0037 福岡県福岡市西区飯盛763   標高:66.3m 地図 GMAP 092-531-6667 
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歴史

真教院はこの北側に鎮座する飯盛神社の神宮寺の役割をはたしていた。

永仁6年戊戌(1298)、因幡二郎左衛門尉康成が開基。 康永元年(1342)、本堂安置を終え、博多大乗寺長老暁海上人を導師として開眼法要を行い開山された。

以後、末寺七ケ寺を有し飯盛神社と共に隆昌を極めたが足利幕府の衰乱に廃地となり文殊堂のみ僅かに残る。 末寺は下記の通り。

  • 法華寺 吉武内 本尊 十一面千手観音菩薩
  • 法仙(泉)寺 飯盛内 本尊 虚空蔵菩薩
  • 東光寺 飯盛内 本尊 地蔵菩薩
  • 長楽寺 吉武内 本尊 子安観音菩薩
  • 崇徳寺 田村内 本尊 薬師如来
  • 清林寺 羽根戸内 本尊 薬師如来像
  • 大円寺[1] 西入部内 本尊 観世音菩薩

寛文の頃(1660)これを再建し福岡源光院の弟子澄海を招いて庵主とし再興された。 天台宗となり元禄年中(1690年代)には藩主より3600坪の寄進あり。

明治の廃仏毀釈により当寺及び末寺全てが廃寺となった。

現在は、福岡市南区成就院の飛び地となっている。 (以上 飯盛神社のホームページより)

飯盛神社の参道脇に「青柳種信ゆかりの地」なる掲示板がある。 神社の神職の方によると、この地区は「青柳」姓のお宅が多いそうである。 種信の末裔も現存するかもしれない。

参考:境内の案内板(文殊菩薩騎獅像)『筑前國続風土記附録』

ひとくちメモ

飯盛文殊堂は福岡市西区の飯盛神社に程近い林の中にひっそりと伽藍を構えている。

文殊堂脇には知恵の水の水汲み場・十三仏、さらに長い石段を登って行くと杉木立の中に薬師如来堂がある。

知恵の水は、飯盛山からの湧水で地元の人々は休日ともなれば列をなして順番を待つ。 作者も何度か汲みに行ったが、柔らかい口当たりでこの水でコーヒーをたてると美味である。

十三仏は、その上の薬師堂から眺めると車座になって鎮座しており、まるで会議でもしているかのような配置である。 なんともいとおしい配置・お姿である。

文殊堂の前には貞和5年(1349)銘の梵字板石碑がある。

飯盛神社境内は、飯盛山全体となっており、飯盛文殊堂の他、飯盛神社本社、さらに中宮、上宮と絶好の散策コースとなっている。 半日コース。

伊藤氏メモ文殊堂の中の天井には、櫛田神社の楼門の天井と同様に十二支の円盤がありました。 知恵の水は、齊藤さんが[柔らかい口あたり]とおっしゃるとおり、ほんとうにまろやかな味でした。 水汲みをされる人もひっきりなしでした。

そばの飯盛神社第1・2駐車場のところに[青柳種信ゆかりの地]の表示板がありました。 顕乗寺にお墓がある旨は記されていましたが、 残念ながらどのような[ゆかり]かの説明は記載されていませんでした。()

写真

  • 扁額 - 文殊堂内
    扁額 - 文殊堂内 
  • 薬師如来堂
    薬師如来堂 
  • 薬師如来像
    薬師如来像 
  • 文殊堂の遠景
    文殊堂の遠景 
  • 石碑
    石碑 
  • 境内への長い石段
    境内への長い石段 
  • 文殊堂の内部(ガラス越しに撮影したので画像が鮮明でない)
    文殊堂の内部(ガラス越しに撮影したので画像が鮮明でない) 
  • 境内の石碑(何やら文字が刻印されているが判読不能)
    境内の石碑(何やら文字が刻印されているが判読不能) 

境内の案内板(文殊菩薩騎獅像)

文殊菩薩騎獅像の写真より引用 - 文殊堂内
文殊菩薩騎獅像の写真より引用 - 文殊堂内 

文殊菩薩騎獅像

この地は、飯盛神社の神宮寺である真教院(13世紀末創建)の跡地である。 奈良の西大寺の末寺であり、この地方における真言律宗の中心寺院として栄えた。

本尊の文殊菩薩騎獅像は、胎内の墨書から元弘3年 (1333)の製作であることがわかる。 この像は、全体の高さが215.2cmにも及ぶ大きなもので、材質は桧材からなり寄木作りである。 体部を少し後方に引き、右の前・後足の歩を少し進め、何物かに対峙した時の緊張した姿勢を示す獅子と、その上に坐す文殊菩薩像は右手に剣を持ち、伏目がちに獅子の行方をみつめている。 後代に何度修理されて現在に至っているが、その彫法は鎌倉時代の彫刻の様式を色濃く残している。昭和53年(1978)、市の文化財に指定された。

堂前には、文殊菩薩を表す梵字を刻んだ貞和(じょうわ)5年(1349) の板碑(市指定文化財)が建っている。 本尊に供えられたものだろう。

1996年 福岡市教育委員会


貞和5年銘梵字板石碑

板碑
板碑 

案内板の内容をそのまま記す。

板碑とは供養のために建てられた岩塔婆の一種で、中世特有の石造物といわれています。

この文殊堂境内の板碑は、 結晶片岩を用いて造られたもので高さ83cm、幅55Cmをはかります。 正面上部に文殊菩薩(マン)を示す梵字を薬研(やけんぼり)彫しています。梵字の下には3行の銘文があり、貞和5年 (北朝年号年)(1349)供養のため建てられたことなどが記されています。

本板碑は堂内安置の文殊菩薩騎像(市指定文 化財)が、 元弘3年(南朝年号)(1333) に造ら れたものであることと合わせ、 本市における南北朝時代の政治状況を示 した貴重な文化財です。

板碑は年代的にも貴重な文化財のようである。雨ざらしの状態でこのまま風雪にさらしていて良いものであろうか? 屋根などで保護すべきではなかろうか?

伊藤氏メモ貞和五年銘梵字板石碑の保存について、齊藤さんと同意見です (貴重なものなので、屋根をつけるなど劣化対策を講ずべし)。 本碑の説明書き(この説明書き中にも、貴重な文化財とうたわれています)をされている 福岡市教育委員会へ進言してみようと思っています。


『筑前國続風土記附録』巻之40 早良郡 下 飯森村

飯盛権現社図(左下隅に神宮寺・文殊堂が描かれている) - 『筑前國続風土記附録』(中)挿絵
飯盛権現社図(左下隅に神宮寺・文殊堂が描かれている) - 『筑前國続風土記附録』(中)挿絵 

飯森三社権現社の項に書きの記事がみられる。

社僧・神宮寺、飯盛山と号す。 福岡源光院に属す。 開基を淡海といふ。 昔ハ真言宗なりしとそ。

下記の記事もみられる。

○文殊堂(ムラウチ) 永仁6年(1298)8月仏体を改造すといふ。


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