heritage 本願山起行院 選擇寺(せんちゃくじ) 浄土宗 ☆☆☆ 行明 唐津街道 伊藤氏参拝済 木造阿弥陀如来立像 博多寺町コース第26番

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〒812-0035 福岡県福岡市博多区中呉服町9-21   標高:8.6m 地図 GMAP 092-281-2642 
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歴史

天文年間(1532-1555)行誓(ぎょうせい)覚公和尚により創建・開山された。 本尊は伝行基作の阿弥陀如来像(市指定文化財)と五大力菩薩。 (以上 『福岡市史』民俗編1より)

寺号「選擇」の由来は阿弥陀仏四十八願の十八願「悪を取り去り善を選り分ける」による。

選擇寺は元文5年(1740)に遊女屋が集まった旧柳町-石堂川西岸(旧大浜小学校付近[1])の旦那寺となり、 亡くなった遊女の投げ込み寺となったという。下記の紫陽花忌を参照のこと。 門前の道は唐津街道である。

伊藤氏メモ『福岡寺院探訪』によれば、昔は、「一に選擇、二に大圓寺」などと言われるほど裕福な寺であったが、いつしかその面影もなくなり、 昭和60年、新たに住職が当寺に入ったときには、無住のため荒れ放題で見るかたもなく、いたる所で雨漏りがしたという。()

参考:『筑前國続風土記拾遺』・境内の案内板根付の名匠・中村利満

ひとくちメモ

選擇寺の山門前は旧唐津街道で、すぐ東側の石堂橋は博多の町の玄関口であった。 福岡大空襲の被害からかろうじて免れ、古い街並みが残っている場所である。 山門は歴史を感じさせるものとなっている。

イベント情報(今日から1年間)

○主催者などに事前に確認の上、参加下さい○

日時内容備考状態
2023-06-23(金)
(13:00〜15:00)
紫陽花忌江戸時代末期、19歳で亡くなった、母親思いで信心篤い名妓・雪友の命日。 江戸時代から明治初期にかけて亡くなった遊女、580体の無縁仏を供養する。確定

写真

  • 山門
    山門 
  • 山門の乳金具
    山門の乳金具 

紫陽花(あじさい)

毎年6月27日13時より

※江戸時代末期、19歳で亡くなった、母親思いで信心篤い名妓・雪友の命日。 江戸時代から明治初期にかけて亡くなった遊女、580体の無縁仏を供養する。 詳細はLinks③ 参照の事。

境内の案内板

木造阿弥陀如来立像

ここ浄土宗の選擇寺は16世紀中頃開かれ、 17世紀には住吉の妙圓寺 の末寺となっています。この寺の本尊として祀られているのが、木造阿弥陀如来像です。

この仏像は、高さ119.4cm、檜材を用いた寄木造で、肉身部は漆箔を施し、頭髪と法衣は彩色を行っています。

広めの瞼に前方下方を見つめる彫眼の伏目、円満な顔立ちと頬のふくよかなふくらみ、 浅い彫りで流れるような美しい衣線文、腰部から垂下した衣文で量感のある 上腿(じょうたい)を表すなど、優美な象容とすぐれた彫技を示しています。

本仏像は行基の作と伝えられていますが、以上のような特徴から、平安時代後期の 作風と彫技を備え、京都や奈良の中央仏師により造られたものと考えられます。 この仏像は、本市に数少ない平安時代の仏像彫刻の優品として貴重な文化財です。

1999年3月 福岡市教育委員会

根付の名匠・中村利満

伊藤氏メモこの地域には、「電柱歴史案内(はかた博物館)」と名付けられ、その電柱の地域近辺であった歴史的出来事などをカバー帯に記した電柱が多数立っている。(Links① 参照)

選擇寺の前に電柱のカバー帯には、次のような記述がある。()

根付(ねつけ)[2]」は、江戸時代の生活工芸品で、世界が認めた芸術品。

享和元年(1801)川端生まれの中村仁平利満は、市小路(いちしょうじ)[3]牧牛軒(ぼくぎゅうけん)中村利治に彫刻を学び、松下音満(おとまん)・中ノ子吉兵衛とともに、博多根付の名人と称され、しばしば藩命を請け「根付」を制作し賞を受ける。

元来、利満は永蔵附の黒田藩士であり、「弾正縄(だんじょうなわ)」を考案して、ロスの多かった米俵のパッケージングを改良して、筑前米の販売促進に大いに貢献した。

大隈言道の門下生で野村望東尼と同門。文久元年(1861)没。ここ選擇寺に眠る。

筑前國続風土記拾遺』巻之9 博多寺院(下) 選擇寺の項

蓮池寺町圖(巻之2博多)(左上の橋が石堂橋。右手より橋に近い順で一行寺・選擇寺。左手橋に近い順で海元寺・正定寺が描かれている。)
蓮池寺町圖(巻之2博多)(左上の橋が石堂橋。右手より橋に近い順で一行寺・選擇寺。左手橋に近い順で海元寺・正定寺が描かれている。)
『筑前名所図会』

本願山起行院と号す。 浄土宗鎮西派那珂郡住吉村妙圓寺の末なり。 開山を行誓覺公といふ。 永禄9年(1566)(或云天正中)起立せり。 本堂の傍に伍大力ノ菩薩を安置せり。 毎年正月13日伍大力講とて商人等會集す。

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脚注