heritage 金松山(きんしょうざん) 西光寺(さいこうじ) [虚無僧寺・西光禅寺] 臨済宗妙心寺派 ☆☆☆ 栄西 坐禅 伊藤氏参拝済 博多寺町コース第15番 石城三十三箇所観音霊場第17番

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〒812-0037 福岡県福岡市博多区御供所町6-16   標高:7.5m 地図 GMAP 092-291-4886 
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歴史

伊藤氏メモ西光寺は聖福寺の塔頭の一つである。 寺伝によると、開山は空也上人(903-972)と伝えられる。 時代は下り、鎌倉初期、栄西禅師が宋から帰国するときについて来た宋人に阿弥陀経を伝えて寺地を与え、九品宗(くぼんしゅう)という宗旨と金松山西光寺を賜ったと伝えている。 しかし、その後の西光寺には空白が続き、再興は戦後になってからである。 西光寺は、聖福寺の塔頭の一つ幻住庵住職の韜光(とうこう)和尚が再興し、当初は住職を兼務したので、西光寺では韜光和尚を中興開山としている。

寺内には普門山一朝軒がある。一朝軒とは、古くから博多にあった普化宗、虚無僧のお寺で、昔は矢倉門にあったが、今は当寺に移っている。 住職のお話では、普化宗一朝軒の開山は一翁祖貞(いちおうそてい)(1646年没)という京都から博多に来た虚無僧で、この人が矢倉門に地所を賜り、普門山一朝軒としたと伝えられる。 普化宗とは、中国の唐代(618-907)の普化禅師を祖師とし、法竹(尺八)を吹くことで禅の修業をする一派である。京都の明暗寺(みょうあんじ)を西国33か国の虚無僧の本寺とする。

江戸時代まで虚無僧は、日本中往来御免や、虚無僧が門口に立てば喜捨しなければならない、宿を請えば提供しなけらばならないなど、諸国往来や寝食について幕府保証の特権があった。しかし、明治4年(1871)、普化宗は政府によって廃止された。西光寺内の一朝軒の道場には、普化禅師と虚無僧の祖である楠正勝公の尊像が大切に祀られているという。(『筑前の寺めぐり 』より)()

参考:『福岡寺院探訪』『筑前國続風土記』

ひとくちメモ

西光寺は、聖福寺境内の西門(さいもん)の脇に伽藍を構えている。

写真

  • 山門
    山門 
  • 本堂の扁額
    本堂の扁額 
  • 山門前の通り - 右が西光寺、その先が瑞應庵。左が聖福寺
    山門前の通り - 右が西光寺、その先が瑞應庵。左が聖福寺 

『福岡寺院探訪』

伊藤氏メモ『福岡寺院探訪』に次のような記載がある。()

「矢倉門に在、(中略)普化禅師を以て祖師とす、 西三十三ヶ国虚無僧の本寺也(中略)近世素庭といへる者妙楽寺前町に住せり(中略)其後一空に至りて始めて今の処に庵宅を開き一朝軒と号して聖福寺に属せり(『石城志』)」とある。

筑前國続風土記

○聖福寺

(前略) 此寺の東北の側に、歌舞を業とせる、倡優(わざをぎ)[1]の住む町あり。 これは栄西帰朝の時、唐土より従来し者を、栄西弥陀経を伝へ、 僧衣と数珠を授け、寺地をあたへて、金松山西光寺と號し、九品宗[2] と名づけて、念仏三昧を修せしめられけると云伝たり。(以下略)

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