heritage 冷泉山慈眼院(れいせんざん) 龍宮寺(りゅうぐうじ) 浄土宗 ☆☆☆ 人魚の骨 伊藤氏参拝済 博多七観音第6番 九州西国霊場第32番札所 福岡市新四国霊場第82番 百八観音霊場第107番札所 石城三十三箇所観音霊場第6番 筑前国中三十三観音霊場第2番札所 博多旧市街ライトアップウォーク第2番

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〒812-0039 福岡県福岡市博多区冷泉町4-21   標高:9.5m 地図 GMAP 092-291-1003 
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歴史

伊藤氏メモ『筑前國福岡区地誌』上小山町の項に次のような記載がある。

町の南にあり。浄土宗鎮西派本山京都知恩院末なり。開山を谷阿上人と云う。 此の寺、古は袖湊の海辺、今の楊池神社の地にあり。其の頃は、此辺まで潮来たりし故、浮御堂と云えり。

後、貞応元年(1222)4月14日(一説に27日)、此の津にて人魚を捕得たり。此の由、朝廷に奏問しければ、 勅使として冷泉中納言、当地に下向有りて暫く此の寺に留止せらる。其の時、安部大冨と云える博士、人魚出現の事を占うに、国家長久の瑞兆なりと申しける。 人魚は頓て此の寺の中に埋みぬ。是より今の山号寺号に改むと云う。

当寺20世本譽、播磨姫路の人、長野氏の二子なり。心光寺[1]にて剃髪し、豊前中津瀧泉寺[2]に住し、慶長5年(1600)、 当国に来り此の寺に住し、本堂庫裏諸堂を建立す。中興開基と称す。

宗祇法師が筑紫紀行に博多と云うにつきぬ。やどりは龍宮寺と云える浄土門の寺なり。 享保17年(1732)6月16日の夜、当寺炎上して、冷泉中納言筆の額及び宗祇が連歌百韻の一本も烏有となれり。惜しむべし。

寺境に荒神堂観音堂大師堂あり。荒神、毎月28日商家の輩、群参す。 観音堂、博多七観音の一にて、国中33か所巡礼第2番の札所なり。又、宗祇が吟行の松とて1株あり。元文(1736-1740)中、雷火に摧けしを、又、植継きたるなり。()

伊藤氏メモ谷阿上人により開山され、創建当時は真言律宗であったが、第6世空吟上人のときに現在の浄土宗に改宗された。(「博多ライトアップウォーク2016/パンフレット」より)()

筑前國続風土記』によれば、開基の年は定かではない。 開山の谷阿(たにあ)上人が亡くなったのが仁治2年(1241)というからそれ以前であることがわかる。

寺内には人魚の骨も安置されている。なんと147mとの言い伝えがある。

ひとくちメモ

山門を入ると荒神堂(三寶大荒神)があり、その横に寺の本堂がある。 本堂前には観音堂がある。

境内にある人魚塚は、何のご利益かは聴きそびれたがお参りの人が 削って持ち帰る為磨り減り、昭和33年に新しいものと置き換えられたと言う。 (下の写真を参照の亊)

伊藤氏メモ文明12年(1480)には宗祇が滞在。連歌百韻が行われた。()

イベント情報(今日から1年間)

○主催者などに事前に確認の上、参加下さい○

日時内容備考状態
2023-11-02(木)〜2023-11-05()博多旧市街ライトアップウォーク博多区の多くの寺社がライトアップされて多くの人たちがお寺・お宮めぐりをします。確定

写真

  • 本堂
    本堂 
  • 石碑(「信州 善光寺如来安置」) - 山門脇
    石碑(「信州 善光寺如来安置」) - 山門脇 
  • 石碑(裏面、「天保5年(1834)11月25日(中略)冷泉山33世祥譽瑞俊」銘) - 山門脇
    石碑(裏面、「天保5年(1834)11月25日(中略)冷泉山33世祥譽瑞俊」銘) - 山門脇 
  • 六地蔵
    六地蔵 
  • 境内の灰皿(ありがたい)
    境内の灰皿(ありがたい) 
  • (伝)人魚の骨
    (伝)人魚の骨 
  • 人魚図 - 龍宮寺所蔵(長さは33間≒147mあったと記載されている)
    人魚図 - 龍宮寺所蔵(長さは33間≒147mあったと記載されている) 
  • 人魚塚 - 昭和33年6月建立の銘あり
    人魚塚 - 昭和33年6月建立の銘あり 

『筑前名所図会』

東長寺(巻之2博多)
東長寺(巻之2博多)
『筑前名所図会』
柳カ池
柳カ池
『筑前名所図会』

筑前名所図会』巻二 東長寺の図で下部に描かれている。東長寺との位置関係はほぼ現在のままである。

筑前名所図会』巻二 柳カ池で人魚の絵が描かれている。不気味である。


荒神堂

荒神堂(三寶大荒神社)
荒神堂(三寶大荒神社) 
荒神堂(三寶大荒神社)前面の千社札
荒神堂(三寶大荒神社)前面の千社札 

伊藤氏メモ昔は龍宮寺の両隣は本願院(廃寺)、天福寺(昭和58年(1983)城南区南片江に移転)という寺院であったが今はなく、元々は本願院に所属した荒神堂(伝行基作の三寶荒神を祀る)だけが龍宮寺の境内に残る。(『福岡の名刹・古刹 55ケ寺』より)()


観音堂

観音堂
観音堂 
観音堂内
観音堂内 
観音堂前面の千社札
観音堂前面の千社札 

本堂のほぼ正面に鎮座している。観音堂横の案内板によれば、本尊は聖観世音菩薩(別名:袖湊観音)で、貞応年(1223)慈覚大師作と伝えられる。

太閤秀吉の博多町割り(1587)より博多七観音( 大乗寺観音・ 妙楽寺観音・ 龍宮寺観音・ 聖福寺観音・ 東長寺観音・ 乳峯寺観音)の一つとして昔から多くの人の巡礼の場となっている との亊である。


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脚注