heritage 野芥縁切地蔵尊(のけえんきりじぞうそん) 仏教礼拝所 ☆☆☆ 縁切り 野芥櫛田神社 伊藤氏参拝済

住所・電話
〒814-0171 福岡県福岡市早良区野芥4丁目21-34   標高:26.9m 地図 GMAP
検索
同地区同宗派(28)  ( 4km以内 ) MAP  周辺のスポット(10)  Links(1)

歴史

石段脇の案内板の内容を下に記す。

野芥縁切地蔵尊由来

和銅(708-724)の頃、重留の里(現在早良区重留)に住んで土生の長者と呼ばれた富永修理太夫照兼の子兼縄が粕屋の長者原(現在粕屋町)の大城長者曽根出羽守国貞の娘(お古能姫)と縁組が成立し輿入れの日、兼縄が有る事情の為出奔したので、照兼は、これを頓死と偽って使者を大城長者に急報の途中、お古能姫はこの知らせを野芥で聞き「早や嫁ぐべき家も無し」とこの土地で自刃して果てた。土地の人々が哀れんで菩提をとむらうために一体の石蔵(ママ)を建てたのが野芥の縁切地蔵尊といわれている。

其の後男女の縁切にあらたかとして、昔より全国各地から信者が祈願にきましたが最近は一切の悪縁諸病と縁切りという事で霊験あらたかであると有名になり、北は北海道から南は沖縄まで参詣者が多い。

昭和60年(1985)10月26日に出火全焼したので地元有志及び全国の信者の方々のご納金によりこのたび再建完成し今後、永く史跡として大切に保存するはこびとなりました。

昭和61年9月24日 野芥縁切地蔵尊史跡保存会

参考:『筑前國続風土記附録』縁切りの作法

ひとくちメモ

お地蔵様は八角形の祭壇の上に祭られている。 単なる石のような形。長い風雪の為お姿がわからなくなっているのか、もともとこの形だったのかは不詳。 境内には手水社とその前に古い石塔・石仏群がみられる。

御堂内の壁には落書きが散見される。近在の少年たちのいたずらであろう。 残念である。

午前、初参拝。『筑前國続風土記附録』の記事に「縁きり地蔵はミヤノウエ」にあると記されており、これを頼りに野芥に向かった。 「ミヤノウエ」の「ミヤ」とは野芥櫛田神社の事。その上にこの地蔵尊があると思い、野芥櫛田神社に参拝。 確かに、社殿に向かって右手に石段があり、遠目に道が上まで延びている。 しかし石段両脇は草木が茂り、長いものが出現する絶好のシチュエーション(泣)。 また冬に参ろうかと引き揚げる途中、境内で談笑中の氏子さんと思しき初老の男性達(確か5名)と出会った(境内の清掃などの後の様子)。 その集団に石段の上に何があるかと聞くと、上にはまだ祠があるとのこと。 作者が「そこにお地蔵様おらっしゃいますか?」と尋ねると、縁切地蔵の場所が櫛田神社境内ではなく、鳥居前の道なりに少し南側にある事を教えて頂いた(すごいラッキー)。

その男性達と別れ際に、その中のお一方が(なん)の縁切りな?」、(小指を立ててニヤっと笑い)「これやろ?」。 作者は「単なる物好きで。。」と応答。会釈して地蔵堂に向かった。もっとうまい応答があったのではないかと後悔することしきり。

上の太字は地元言葉。標準語になおせば「そこにお地蔵様はおられますか?」「何との縁切りですか?」「これ(女性)でしょう?」。ニュアンスがうまく伝わりません。やはり地元ことばならではの味わいがある。

写真

  • 地蔵尊 - 斜め前から撮影
    地蔵尊 - 斜め前から撮影 
  • 地蔵堂の扁額
    地蔵堂の扁額 
  • 祭壇(生花が供えられていた)
    祭壇(生花が供えられていた) 
  • 古い石塔・石仏群
    古い石塔・石仏群 
  • 御堂内の古い案内板(昭和61年9月24日銘)
    御堂内の古い案内板(昭和61年9月24日銘) 
  • 手水社
    手水社 
  • 境内風景(正面が地蔵堂)
    境内風景(正面が地蔵堂) 

野芥櫛田神社

鳥居
鳥居 
社殿
社殿 
境内風景(中央のスギの大木が倒れかかっていてそれを支える器具が設置されている)
境内風景(中央のスギの大木が倒れかかっていてそれを支える器具が設置されている) 
野芥村櫛田社の図
野芥村櫛田社の図
『筑前名所図会』

『筑前國続風土記附録』巻之38 早良郡上 野芥村の項に下記の記事がみられる。

櫛田宮(ムラナカ 神殿3間・拝殿2間3間・祭禮9月19日・石鳥居1基・奉祀池田丹宮)

産神也。祭る所天照大神・大若子命・春日大明神(春日ハ地主神也。) 3座也。社説あり。いたつかはしけれは(ここ)にもらしぬ。 昔ハ9月29日に祭ありしか、いつの頃よりか19日に祭を執行ふ。 社内に稲荷社あり。

『筑前名所図会』の中央が櫛田神社。その上に小堂が描かれており「いとう」と読める。 櫛田神社との位置関係から考え、この小堂が当地蔵堂と思われる。


縁切りの作法

地蔵尊 - 横から撮影
地蔵尊 - 横から撮影 

『福岡歴史百景』(1996)に「縁切り」の作法について述べられている。 一部引用する。決して真似しないで下さい

本尊は石造りの地蔵尊で、現在では正体が分からないほど削り取られている。

これは地蔵様に縁切りを祈願、軽石でできた地蔵様の体を削りとって、ひそかにこれを飲み物などに混ぜて相手に飲ませると、次第に愛情がいえ、ついには離別すると言われている。

古くは縁を切りたい男女双方の着衣をひそかに地蔵様の(すそ)下の地中深く埋めて、一心不乱に二人の縁切りを祈願し、地蔵様の面部に化粧をぬり、その乾くのを待って化粧をなで落として持ち帰り、これを相手に気づかれないように飲み物に混ぜて飲ませたといわれている。


『筑前國続風土記附録』巻之38 早良郡上 野芥村の項

御子殿地蔵(ミヤノウエ)

里人縁きり地蔵といふ。里人のいへる所いふかしけれ。(ここ)にもらしぬ。

周辺のスポット(4km以内)

周辺の寺院・仏教施設・他のページは当ページの上部の検索の項の「4km以内」のボタンをご利用下さい。