今峰山
妙徳寺
[妙徳禅寺]
曹洞宗
★☆☆
栄西
日切地蔵堂
伊藤氏参拝済
唐津街道箱崎宿
- 住所・電話
- 〒812-0054 福岡県福岡市東区馬出5丁目36-5 標高:2.1m 地図 GMAP 092-651-1560
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歴史
『筑前国続風土記』巻之五 那珂郡 上の内容をそのまま記す。
○妙徳寺(曹洞宗)
今山と号す。 禅寺なり。馬出村にあり。栄西宋より帰り、始めて住せしところと言い伝えたり。聖福寺営作の間爰に住せしにや。 馬出村の南に寺中町といひ伝へたる横道あり。是栄西妙徳寺にありし時、 宋より来りし従者の居たりし所といふ。其後栄西聖福寺に移り、従者も今の聖福寺々中に移りしなるべし。 栄西帰朝の後、箱崎に良辨といふ者あり。栄西の禅行をそねみて、 叡山の講徒を誘ひ、朝廷に訴て竄逐せんとし、後に改悔し、稱揚帰降せし事、 元亭釈書[1]にしるせり。此時の事なるべし。 此寺の庭に糸櫻の大木あり。 寶永3年(1706)の春、 光長君[2] 郊遊の次に駕を枉て、花を賞し玉ふ、寺門の榮幸とす。
『筑前國続風土記拾遺』には栄西が勧請した稲荷社があったと記載されているが、作者は確認できていない。
伊藤氏メモ『福岡寺院探訪』よれば、『筑前國続風土記』に記されている福岡藩3代藩主黒田光之の賞した糸桜の大木(本ページ歴史欄参照)は、今はないという。()
ひとくちメモ
慈悲観音菩薩様のお姿の美しさにうっとりして見とれていました。 また、日切地蔵堂は線香の香りが絶えない。本堂前のソテツは樹勢盛ん。
伊藤氏メモ「空と風と光のお地蔵様」がありました。平成18年(2006)の海の中道大橋での市職員の飲酒運転事故で亡くなった3人の子供たちを祀っているとのことです。(3人の子供たちの戒名に空・風・光の文字が入っているとのこと)()
写真
『筑前國続風土記拾遺』巻之10 那珂郡 元 馬出村の項
上町にあり。今山と号す。曹洞宗にて博多妙光寺の末なり。 葉上僧正を開祖とす。 僧正の自作の像あり。 長1尺17、8寸又如意鉄鉢木魚等あり。 いつれも僧正の遺物也。
此寺ハ筥崎大宮司の祖開基檀越也。 其事大宮司蔵の古文書また當寺に蔵する所の大宮司重種の應永16年(1409)8月の寄進状に見へたり。 (此外にも此寺に古證文数通あり。)
當村内に寺中町西堂なといふ名のあるは、かの葉上の時の遺名なり。 然れハ始は済家なりしか、久しく中絶したりしによりて天性和尚應永(1394-1427)の初に中興して洞家とはなりたるなり。 かの大宮司重種の寄進状天性に當りたるあり。
むかしの糸桜古株より芽出て頗繁茂せり。
鎮守に稲荷社あり。 寺傅曰、此社は建久2年(辛)(亥)(1191)初て建立開山千光國師の勧請にして當寺の鎮守也。 いつれの時にか有けん。 肥前國住人中村三河守元久といふ人の愛妾有。 嫡妻の嫉妬に依て懐妊の妾を舩にのせ遠方に遣ハし殺さんとす。 此妾の名を藤枝といへり。 心中に八幡宮を祈けるか俄に風波あらく此浦に吹きよせたり。 舩人ども藤枝を憐ミ殺さすして爰に捨置けり。 かくて藤枝其夜獨松原に捨られて出産す。 この時白狐来たりて介抱し我は八幡の仰にて汝を守護するといひて夜明けれは白狐ハ失ぬ。 終に恙なく男子をうめり。 その後肥前より人尋来りてかの女子をすれかへる。 其後三河守の使とて上田半左衛門と云者来りて稲荷神驗の事を語りて御供調進、祠料として黄金1葉流米100斛を捧ける。 それより例となりて年毎に正5、9月には代参のもの来りて神恩を拜謝せしとかや。 是より此社を子安稲荷と稱するといへり。 (縁起に是も中興開山天性の時のことのよし見えたり。)
又此寺に寶歴3年(1753)に古鐘掘出せり。其銘に(中略)これを見れハ此鐘ハ其元ハ豊後國隆生寺といふに在し鐘なり。 乱世に取来て此寺に寄附せし物ばるへし。 此類國中に多し。
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